地魚の煮つけと栗
10月14日(火)
 台風23号の影響で、海は時化ています。天気も悪く、このところ太陽面の撮影ができません。数日間このような状況が続くと、撮影自体が面倒になってしまいます。よくないですね。

 昨日の夕食は、黒メバルの煮つけがメインでした。知人がすぐ目の前の磯で釣りあげたものを頂戴して、冷蔵庫にストックしておいたものです。最近では高級魚の扱いだそうです。市場ではあまり見かけません。とても身が締まっており、おいしいものでした。

 そのほかのおかずは、サンマをたたいたて、それにせん切りのゴボウを混ぜて素揚げしたものです。サンマは豊漁であるために、最近は毎日のように食卓にあがります。そのほかに、さつまいもを素揚したものを出してもらいました。

 お米はブランド米を食べています。ブランド米を食べるのは贅沢なように思われるかも知れませんが、病気を患っている私共の体調を配慮して、茶わんの半分程度の量です。食べる量が少ないので、その分おいしいお米を少しだけ食べるという考え方です。お米を購入する頻度はそれほど高くはありません。

 昨日は、別の知人宅から栗も頂戴しました。今日、蒸し器で蒸しあげて、中の実を取り出し、それに生クリームと砂糖を少し混ぜて、スイーツの出来上がりです。3時のおやつの時間に食べましたが、栗の風味がしっかりしており、とてもおいしいものでした。

 滞在先のひたちなか市は、食材の宝庫です。さつまいもの収穫が終わり頃をむかえており、これからは、さつまいもを頂戴する機会が増えるのではないでしょうか。楽しみです。

 ちなみに、今日の晩御飯には、目の前の磯でとれた、ひじきが出てきます。香りが強くて触感もよく、とてもおいしいものです。スーパーで買うのもとは、まったくの別物です。

 頂戴したものが多いので、お金はかかっていませんが、その分、お返しが大変です。
来客(冨岡啓行氏・阿久津富夫氏)
10月11日(土)
 台風22号の影響で、一昨日は北東の風が強く、曇り空の1日でした。台風が次第に遠ざかった昨日は、その影響もなくなり、爽やかでした。快晴になりました。午前中のうちに、太陽面の撮影を終えました。

 表題のとおり、来客がありました。お二人とも、天文の世界では大変有名な方たちです。

 冨岡氏(気象予報士)は、私共にとっては天文の世界の大先輩です。水戸のプラネタリウム館に勤務していた頃、見に来てくださったことがありました。また、私共の方から、職場を訪ねてご挨拶に伺ったこともありました。

 一方の阿久津氏は、フィリピンのセブ島に移住して、天文台を地元の人々の力を借りながら、自力でこしらえました。世界的な惑星観測者です。

 前回、お二人と会ったのは、いつ頃のことだったのか、互いに首をかしげるほど、遠い昔のことでした。

 阿久津氏は来日しており、いくつかの用事の合間に私共の滞在先に立ち寄ってくれました。私共が太陽面を撮影しているところを見てみたいとこのことで、冨岡氏を誘って来てくれました。

 冨岡氏は、当時の面影が残っていましたが、物腰が一段と柔らかくなり、きわめて穏やかな印象でした。とても品のある感じです。私共が目指すさらなる老後は、冨岡氏のようになりたいと、話をしながら心から思った次第です。

 高齢となった今でも、天体観測(主として掩蔽(えんぺい)の観測です。ある天体が他の天体の背後に隠れる現象を観測する手段)を行っているとのことです。あっぱれとしか言いようがありません。

 阿久津氏の撮影した天体の写真を見せてもらいましたが、惑星の写真は、圧巻でした。気流がよいセブ島ならではの写真に目を奪われました。大したものだと思います。また、その行動力には脱帽です。

 一通り私共の機材や撮影の様子を見ていただいたのちに、3人で記念写真を撮影しました。手前で望遠鏡の右にいるのが私共、奥の左が冨岡氏、右が阿久津氏です。ご本人たちの許可を得た上で、実名と写真を掲載するものです。
スペース・イラスト3点
10月10日(金)
 絵の制作が一段落したため、近い将来の個展開催に向けて準備を行っています。物置から昔描いたスペース・イラストを取り出して、データとして保存するために撮影を行いました。以前にも撮影してあったのですが、ハードディスクを横浜の自宅に保管しているため、滞在先でいつでも使用できるように、再度撮影しました。

 額を外し、イラストをカバーしているガラスをクリーニングしてから、ガラスも外して撮影したので、合計12点の撮影を終えるまで、2日がかりとなりました。

 これらのイラストは、個展の際に展示すると同時に、ポストカードとして販売を予定しています。会場はすでに押さえてあります。案内状は、いずれ送付するつもりです。このホームページの「ギャラリー」「エアブラシイラスト」に、小さい画像を掲載してあります。絵の解説もそちらにありますので、興味のある方は、見つけてみてください。これらの作品は、1989年から1998年にかけて描いたものです。

 一番下の作品は、スペース・イラストの最初の作品です。この作品は、ギャラリーにアップしていませんでした。タイトルは「マゼラン探査機の打ち上げ」です。アメリカのNASAが1989年に打ち上げた、金星を探査するための惑星探査機です。スペースシャトル「アトランティス」のカーゴベイに搭載され、そこから射出されています。スペースシャトルから射出された初の惑星探査機となりました。

 フェルディナンド・マゼランの名にちなんで名付けられた探査機です。大航海時代のポルトガル出身の航海者で、スペイン帝国の艦隊を率いました。航海半ばで亡くなりましたが、部下がその艦隊を引き継ぎ、史上初の世界周航を果たしています。このマゼランの肖像画も、後にコンピュータ上で、Photoshopを使用して、白黒写真を参考にカラーで描いています。プラネタリウムの解説で必要になるからでした。

 探査機は、金星の厚い雲を通して表面の様子を観測するために、合成開口レーダーを搭載し、表面のデータを取得しています。私共が最も好きな探査機であり、イラストの後に、3DCGソフトが、個人のコンピュータでも使用できる環境が整った頃、LightWave 3Dというソフトを使用して、探査機のモデルを作っています。

 これらのイラストは、今見ると未熟です。額装して長い間物置に放置してあったので、カビなどが発生していたり、多少の劣化が見られます。いずれは、手放すことになるでしょう。
名刺の印刷
10月9日(木)
 名刺の数が少なくなってきたため、印刷に出しました。どんな手段で印刷するか迷っていましたが、最終的には、ネット上から印刷を依頼しました。出来上がって郵送されてきたのが、画像の名刺です。

 パソコンのプリンターで印刷することも考えました。名刺を印刷するためのファイルは、Adobeのイラストレーターで作成したものがあります。

 しかし、名刺用の用紙を購入しなくてはいけないこと、プリンターのインク代などの必要経費を配慮し、ネット上から印刷を頼んだ場合の経費と比較すると、結果的にどちらもさほど変わりませんでしたので、ネット印刷としました。

 価格は、100枚を印刷して郵送料込みで、1,000円を少し超える程度です。できあがって郵送されてきたものを見ると、紙質、厚み、そして印刷のクオリティーのいずれも満足できるものでした。

 ネット上から依頼するときには、テンプレートが用意されているので、それを加工して、背景に自ら撮影した天体写真を配置しています。その時点で、オリジナルのテンプレートとは、ほど遠いものとなります。裏面にはスペース・イラストを配置しました。

 初対面の方には、今後この名刺を差し出すことになるのですが、そもそも名刺を差し出す場面が極めて少なくなっています。おそらくは、プラネタリウム解説者を引退するまで使い続けることになるでしょう。

 私共は、横浜市の公共施設である、横浜こども科学館に長年勤務し、プラネタリウムの仕事に従事してきました。最後の3年間は、その組織において、組織をコントロールする仕事につきました。そして独立します。2008年のことでした。その後は、移動式プラネタリウムの出張投影の仕事を中心に、プラネタリウム用のコンテンツ制作などを手がけ、現在に至っています。

 移動式プラネタリウムの出張投影の仕事は、とても大変でした。その当時を振り返ると、あまり良い思い出は残っていませんが、その時に経験したさまざまな出来事は、今の私共の仕事にも役立っています。すなわちこれまでの仕事で、その時は遠回りしていると考えていたことでも、無駄になっていることは、何もないということです。

 移動式プラネタリウムの出張投影の仕事は、2017年12月で終了しました。全国436か所で投影し、その間の投影日数は659日、投影回数3,608回、観客数107,049人でした。観客動員数に関しては、終わってみれば、あれだけ投影したのに意外と少なかったな・・・というのが、データをまとめた時の印象でした。

 現在は、関市まなびンセンターの12メートルドームに、メガスターゼロ投影機を仮設して、解説を行っています。仕事はそれだけです。今年度は6回、合計12日間の投影です。次が今年度の最後になります。私共の年齢は72歳です。今年は大病もしましたし、今その後遺症に悩まされています。薬で治療を続けていますが、それでも仕事をさせていただけることには、常に感謝しています。

 さて、定年退職(私共は、早期の定年退職扱いでした)をすると、どなたでも経験することがあります。私共もそうでした。退職してから、独立するまでは、肩書がないのです。すなわち、初対面の方とお会いしても、名刺を差し出すことすらできないのです。また、個人事業者の場合は、名刺を差し出しても、相手に信用されることは、あまりありません。

 どこどこの誰誰ですと名乗る場面で、「どこどこ」が存在しないということは、精神的にはかなりきつかったです。組織に属していることが、どれだけ社会的な信用度が高いかを痛感させられました。しかし、今ではすっかり慣れてしまいました。相手にどう思われようとまったく気になりません。

 サラリーマン時代は、取引先からの連絡が毎日のようにありました。また職場内での相談件数もかなりの数でした。うんざりしていました。退職した途端、それらがなくなります。

 最初は、職場をやめてせいせいしたと思いました。しかし、それも1週間程度の感情です。そのうち、自分は世の中において必要とされていないのではないだろうか・・・と思うようになります。朝から晩まで自宅にいると、パートナーとの関係も変化します。一家の大黒柱として家計面を支えているという自尊心もなくなります。街を歩くと、昼休み時間などに、さっそうと歩くサラリーマンの皆さんをうらやましく思いました。私共の場合は、その時点で軽いうつ状態でした。

 私共の場合は、独立して約3か月が経過した頃から、仕事のオファーが舞い込むようになりました。それも全国からです。それからは、毎日のように忙しくなり、週末は、地方に出向いて投影を行うことが多くなりました。平日でも、学校などからオファーが来るようになり、2017年12月でこの事業をやめる頃には、いくつかのオファーをお断りする状態でした。

 仕事のクオリティーを確保するために、すべての投影を自ら行いました。スタッフを雇って業務を拡張するということは、考えていませんでした。利益を追求することが最優先ではなく、生活ができていれば、それでよいと考えていました。

 プラネタリウムにおける解説とは、奥が深く、いまだに自分で納得できる投影ができているわけではありません。しかし、さらなる高みを目指すのは、その気持ちがあっても、私共の年齢を考えれば、無理があることでしょう。今は投影を中心とする仕事の質を落とさないことを最優先に考えています。

 定年退職は、サラリーマンならだれもが通過する過程です。うつ病にならないように、その後の人生に明確なビジョンを持って乗り切っていただきたいと思っています。・・・誤解しないでいただきたいのは、私共の現状には、必ずしも満足していないということです。このブログ「星雑記」で、人様のアドバイスをできる立場ではないのですが、あくまでも退職から独立、そして今に至るまでの経験談としてとらえてください。サラリーマン時代は、仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになり、歳をとった今は、体の自由がきかなくなり、毎日の生活自体が大変です。生きていくということは、いろいろな苦しさに耐えることなのかも知れません・・・。
白川郷の観光客
10月5日(日)
 白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されていることは、どなたでもご存じでしょう。白川郷は岐阜県に位置し、富山県、石川県の県境になります。一方で五箇山は富山県に位置し、岐阜県との県境近くにあります。

 私共が最後に白川郷を訪れたのは、2021年10月29日(金)の夕方のことです。翌日から2日間は、関市まなびセンターでの投影が控えていました。その日の午後にホテルにチェックインしたのち、そのまま白川郷に向かいました。白川郷で星空の写真撮影を行うことが目的でしたが、天気が悪かったため、断念しました。

 仕方がないので、上の画像を撮影して戻ってきました。これは、2021年11月2日(火)の、このブログ「星雑記」にアップした画像と同じものです。このときまでで白川郷には15回ほど行っています。当時は、白川郷をテーマとした風景写真や星景写真に取り組んでいたためです。白川郷の中は、すでに土地勘があります。

 最近、ネットの動画ニュースによると、白川郷の外国人観光客が、初めて日本人観光客の数字を上回ったということを聞いて、驚きました。そして複雑な気持ちです。その関係で、駐車場の料金が倍に値上げされたそうです。警備員も増やさなくてはいけないだろうし、たくさんの観光客に対応するための、インフラの整備にもお金がかかるのでしょう。

 世界遺産の中で、生活している地元の人々のことを配慮すれば、必ずしも喜べる状況ではないように思っています。観光業を生業にする家では、売り上げも上がって、よいのかも知れません。しかしながら、敷地内まで無断で侵入してくる外国人観光客等、マナーを守らない人も増加しているのではないでしょうか。

 奈良公園では、鹿をいじめる外国人観光客の問題が取り上げられるようになりました。また、鹿せんべい以外の食べ物を上げてしまう人など、様々な事案が発生しているようです。昔から神様の使いとして、人々と共存してきた鹿たちが、これから先、生態系に影響を受けなければよいのですが・・・。

 外国人がたくさん来る観光地では、食べ物などの値段が、地元の皆さんには、手が出せないほどの価格になっているところもあるようです。ある意味、ぼったくりなのかも知れません。しかしながら、それで外国人観光客が減ってくれるのであれば、それはそれでよいと思っています。

 私共が定宿とする、関市のホテルにも、外国人観光客が宿泊するときがあります。彼らの多くはマナーがよいのですが、中には団体客が、マナーを守らず、我が物顔で朝食を食べている様子などを目撃することがありました。しかし、最近ではそのような団体客は少なくなり、個人旅行で利用されている方がほとんどです。

 外国人の移住者も増加傾向にあるようですね。治安のよさや、礼儀正しい国民性、海外のレストラン並みのクオリティーで、24時間いつでもお弁当などが買えるコンビニなど、日本人が当たり前と思っていることにとても魅力を感じているようです。移住者が増えすぎると、治安が悪くなることが他の国の事例からも想像できます。正直、これ以上もう来ないでください・・・と思っているのは、私共だけでしょうか。
絵38作目(執金剛神立像/東大寺 秘仏 10月4日)
10月4日(土)
 前回の絵は「金剛力士像/金峯山寺」でした。完成したのは2024年1月末でしたので、以来、久ぶりに絵筆を握りました。30号キャンバス(910mm×652mm)に描いています。前回の絵を完成させてからは、鉛筆画に取り組んでいました。

 鉛筆画は21作描きましたが、その最後の作品は、今年の7月末に完成しました。約2か月で今回の絵を完成させたことになります。これまで30号キャンバスの絵は2枚ほど描いていますが、それらに比べると驚異的なスピードで完成しました。手を抜いているわけではありません。納得のいくところまで描き込んでいます。・・・でもすぐに満足できなくなるでしょう。

 この執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)は塑像です。すなわち粘土でできています。像高は170.4cmです。東大寺の秘仏であり、法華堂(三月堂)の逗子の中に納められています。奈良時代(天平時代)の作で、国宝です。

 目を見開き怒っているように見えるお顔は迫力があります。右手に持っているのは、金剛杵(こんごうしょ)です。例年12月16日に特別開扉されます。保存状態がよく、金箔や彩色が鮮やかに残っており、その極彩色は、当時の仏像の華やかさを今に伝えるものです。この当時の像としては、最高傑作といわれています。

 この金箔などの派手な色合いを表現するために、いつも使用しているアクリル絵の具の中でも、メタリック系の絵の具を多用しました。少し暗めの照明のもとで見ると、鎧の部分が輝いて見えるので、神秘的な絵となります。背景に持ってきたのは、木星です。仏像とは全く関係がありませんが、イメージとして、この像の背景に持ってくるならふさわしいだろうと考えて描きました。参考にしたのは、ジュノー探査機による画像ですが、スペース・アートではないので、原形はとどめていません。感覚的に描いています。

 近い将来に予定している個展の作品は、これですべて描き終わりました。あとは、額装するだけですが、額に入れると保管場所のスペースを取ることと、重たく、値段も高いので、個展の直前に額装するつもりです。

 しばらくは、新作には取り組みません。以前の絵で、気に入らないで修正を中断してしまった絵が1枚あるので、それを完成させたいと思っています。
伊勢海老と椎茸のフライ
10月2日(木)
 右の画像は、昨日の夕食のおかずです。右が伊勢海老のフライ、そして左が椎茸のフライです。

 伊勢海老は、これで1匹分です。これまでは、刺身や湯引きして食べていましたが、少し飽きてしまいました。贅沢ですね。フライにすると、とても食べ応えがあり、おいしいものです。

 知人の方が、目の前の磯で、その日に釣り上げた魚や、伊勢海老などを持ってきてくれます。漁の手伝いをしているらしく、網にかかって商品として出荷できないような伊勢海老をくれます。例えば、触覚が失われてしまっているような個体です。味はまったく変わりませんので、大変ありがたいと思っています。

 いつもいただいているので、先日の関市からの帰り道で、新東名の岡崎サービスエリアに立ち寄り、伊勢市名物の赤福を買ってきました。私共がそこを通過する時間帯には、完売になってしまっていることが多いのですが、今回は立ち寄る時間がいつもよりも早かったために、購入することができました。

 知人宅にもっていったら、お返しに伊勢海老をいただきました。伊勢名物の赤福が伊勢海老に化けたわけです。伊勢海老といえば、三重県が有名ですが、最近では、不漁が続いているようです。温暖化の影響で海水温が上昇し、千葉県沖や、茨城県の私共が滞在する地域などでとれています。

 こどもの頃の夏休みは、海で魚突きをするのが日課でした。まれに伊勢海老を見かけることはありましたが、とったことは一度もありませんでした。このような状況になるとは、夢にも思いませんでした。時代は変るものですね。冷蔵庫の中には、魚類のストックが冷凍されて出番を待っています。今日の夕食は、地魚の煮つけです。こどもの頃によく釣っていた魚ですが、その当時は、自分で釣ってきた魚を食べることはありませんでした。

 この歳になって、食卓にのぼる地魚を食べると、こんなに身がしまっていておいしいものだったのかと思っています。もったいないことをしました。刺身も嫌いで食べませんでした。地元のスーパーでは新鮮な刺身が手に入りますので、今では好んで食べるようになりました。

 来週は、高校時代のクラスメートに頼みごとがあるので、車で30分ほどの距離にある、魚料理のお店に行って、お寿司とアジフライを食べることにしています。そのお店のアジフライは絶品です。
彼岸花(ぴっぴの庭太陽観測所 茨城県ひたちなか市 9月30日)
10月1日(水)
 今日は朝から雨が降っていますが、昨日はとても良い天気でした。関市に出張していたので、このところ太陽面の撮影ができませんでしたが、昨日は6日ぶりに撮影を行いました。

 気流はまだよい状態でしたので、高拡大で黒点を撮影できました。また、日没後の空において、国際宇宙ステーションの通過を見ることができました。

 昨日、撮影した画像は、こちらからご覧ください。昨日は疲れていたので、画像処理は途中でやめてしまいました。今朝になってから画像処理の続きを行い、先程アップしたものです。

 庭に出ると、左の画像のとおり、望遠鏡のまわりには、彼岸花が満開となっていました。鮮やかな色ですね。以前はなかったのですが、いつの間にか庭に咲くようになっていました。

 球根に強い毒性を持っているということのようですが、毎年咲くのを楽しみにしています。

 秋分の日を過ぎてから、だいぶ涼しくなってきました。「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがあります。最近では温暖化の影響で、この日を過ぎても暑い日が続きますが、少なくとも今年はこの言葉通りに推移しているように思います。滞在先のひたちなか市だけの傾向かも知れません。

 位置天文学の世界では、春分点・秋分点はとても大切な点です。地球の赤道を空まで延長したものが天の赤道です。地球は太陽のまわりをまわりますが、私たちから見ていると、太陽が地球のまわりをまわるように見えます。この太陽の通り道を、天の黄道と呼んでいます。

 天の赤道と黄道は23度26分傾いています。これは地球の自転軸の傾きによるものです。

 天の赤道と黄道の交点は2か所あります。黄道が南から北へと交わる点(昇交点といいます)が、春分点です。北から南へ交わる点(降交点といいます)が、秋分点です。

 この春分点・秋分点を太陽が通過する日が、それぞれ春分の日、秋分の日です。国立天文台が前年の2月に官報(歴要綱)で発表しますので、それをもって正式に日付が決まります。

 この2つの日には、昼と夜の長さが、ほぼ同じになります(厳密にはいくつかの理由により、完全に等しくはなりません)。太陽は真東から上り、ほぼ真西の方角に沈んでいきます。

 位置天文学の世界では、とても重要な点です。すべての星や星雲・星団などの座標は、春分点を原点としています。また天体の軌道計算のときにも、必要な点です。

 私共は、若い頃に、位置天文学や天体の軌道計算に熱心に取り組んでいたことがあるため、これらについては詳しくなりましたが、今では漠然としか覚えていません。

 私共のプラネタリウムには、機能がありませんが、常設のプラネタリウムでは、赤道・黄道ともに目盛を表示することができるので、それを表示しながら、太陽を日周運動で動かすと、その日の太陽の動きがよくわかるばかりでなく、緯度変化という機能を利用して、南極や北極における、太陽の動きも再現できますので、機会があればぜひご覧ください。前述の説明がよく理解できるでしょう。百聞は一見に如かずです。

 先日の雹(ヒョウ)で車のボンネットをボコボコにされたため、本日、車を修理に出しました。おそらくボンネットそのものを交換することになるでしょう。
仮設プラネタリウム(関市まなびセンター 岐阜県関市 9月27日から28日)
9月29日(月)
 岐阜県関市の、まなびセンターにおいて、直径12メートルドームにメガスターゼロ投影機を仮設して、投影を行いました。9月27日(土)から28日(日)の2日間です。9月に入って2度目の投影となりましたので、なんだか少しあわただしい感じでした。

 温暖化の影響でしょうか。秋分を過ぎてもまだまだ暑い日が続いています。滞在先は海岸線なので、だいぶ涼しくなってきていますが、関市ではそうはいきませんでした。長袖を持っていきましたが、必要ありませんでした。

 投影後半部のテーマ解説は「10月6日は中秋の名月」という設定です。来月の中秋の名月に関して解説するものです。解説の冒頭の部分では、先の9月8日(月)の未明に見られた皆既月食を撮影した画像をご覧いただきながら、当日のこの現象について解説しました。

 そのあと、中秋の名月に関して解説しました。なぜこの時期に中秋の名月になるのか、なぜ名月というのか。地平線から上る月は、なぜ大きく見えるのか、月の暗い模様を、世界各国では何の形に見ていたのかなどです。小学生低学年の児童にも理解できるような内容としました。

 実際に撮影した中秋の名月や、満月の画像をたくさん使用しました。解説しながら、よくこれだけ撮影したものだと、自分でも改めて思ってしまいました。今度の名月の時にも、撮影してみたいと考えています。

 中秋の名月には、お供え物をすること、それは地方によってさまざまなこと、などについても触れています。この行事は、平安時代に中国から日本に伝わりました。最初は貴族の間で行われていましたが、後に庶民にまで広がり、収穫の感謝の意味を込めて、月見団子や里芋を供えるようになったということです。

 日本には、季節の変化に伴い、さまざまな伝統行事が存在しますが、大切にされてきたこのような行事を、後世に伝えてもらいたいという願いを込めて、解説を行いました。

 土曜日の夜は、市民天体観望会の日です。27日は天気がよく、その時間になっても安定していました。「夏から秋の星雲星団を見よう」というタイトルをつけていましたが、西の低い空には月が、東の空には土星も見えていましたので、それもご覧いただきました。参加者は多めでした。皆さん楽しまれていたようで何よりです。

 東京から、教え子のひとりが家族とともに、はるばる私共の投影を見に来てくれました。遠くから来てくれたことに、驚くと同時に感謝した次第です。こどもたちの成長ぶりには、びっくりしました。

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