記録写真(オーストラリア・ニュージーランド 1976年10月)
4月23日(月)
 先週の始めは、伊勢神宮に参拝に行っていました。帰ってからも、いろいろと予定が立て込んでいたため、この「星雑記」の更新ができませんでした。最近の話題は、すべて過去のものばかりです。焦って更新する必要性もないので、更新の間隔が多少あいてもかまわないだろうと考えています。

 これまでに撮影した写真の処分や整理は、半分近く進みました。フィルム時代に撮影したものは、ほとんど廃棄してしまいました。しかし、一部、デジタルデータで保存しておいたほうが良いだろうと思うものもあったので、フィルムスキャナーにかけて、保存作業を行っているところです。

 3月16日(月)のところで記述した、オーストラリア・ニュージーランド皆既日食ツアーの折に撮影した写真の一部をスキャンニングしました。数枚の写真を紹介します。

 シドニーのオペラハウスです。1976年10月20日(水)に撮影しました。日本からシドニーへ直行すると、朝のうちにシドニーに到着しました。飛行機の真下に最初に見えてくるのが、このオペラハウスでした。



 ストロムロ天文台は、シドニーの郊外にあります。記憶がはっきりしませんが、この望遠鏡は、口径が188センチだったと思います。岡山天体物理観測所のそれと、同じシリーズだったはずです。

 2003年1月に山火事が起こり、5台の望遠鏡、作業場、建物などが倒壊したそうです。すなわち、この望遠鏡は現存しません。10月21日(木)に撮影しました。

10月22日(金)は、皆既日食前日のリハーサルの日でした。左の写真は、私共が当時、オーストラリアに持参した望遠鏡です。まだ、モータドライブも付属していない時代でしたので、太陽を手動で追尾します。

 高橋製作所製の5センチ屈折望遠鏡です。現在の屈折望遠鏡と異なり、焦点距離が長いのが特徴です。この日食撮影のために購入した望遠鏡でしたが、後に、知人に譲渡してしまいました。コンパクトですが、頑丈に作られていたので、気に入っていた望遠鏡です。接眼部には、ペンタックスSPというカメラが取り付けられています。このカメラは、今でも所有していますが、現時点では何の価値もないので、後日、処分する予定です。





















 右上の写真は、ニュージーランドのテカポ湖を見下ろす山の上にある、マウントジョン天文台を訪れたときに撮影したものです。湖から山のほうを見上げると、ドームのようなものが見えていました。あれは、天文台だろうということになり、アポイントメントなしで訪れましたが、スタッフの方が、親切に内部を案内してくれました。バックに見える山々は、南アルプスです。ここから見る、南アルプスの大パノラマは、圧巻の景色でした。10月27日(水)に撮影しました。






 左の写真はニュージーランドのロトルアにある間欠泉です。10月28日(木)に撮影しました。ニュージーランドの北島にあるロトルア湖の南岸に位置する都市です。マオリ族の人々が、人口の約3割を占めているため、マオリの伝統と文化が色濃く残る地域です。地熱活動が活発な地域でもあるため、温泉地としても知られています。

 夕食を食べながら見た、マオリ族の踊りは、音楽とともにとても興味深く、今でも印象に残っています。

 もう一度行ってみたいと思っているのが、オーストラリアとニュージーランドです。南半球の星空の写真撮影をしながら、これらの地域の観光ができたら、どんなにか楽しいことでしょう。
天体写真撮影(伊豆最南端 4月12日から13日)
4月14日(土)
 4月12日(木)の夕方から13日(金)の朝にかけて、伊豆最南端まで天体写真の撮影に出かけました。3月13日(火)から14日(水)にかけて行って以来、1か月ぶりです。前回は、モータードライブのトラブルで撮影できなかったため、リベンジです。明け方、海から上がる天の川の撮影が主な目的でした。

 伊豆最南端は、南側が海に面しているため、その方角には、光害がありません(・・・のはずでした)。条件の良い写真が撮影できるだろうと思っていました。今回は、合計6名で行くことになりました。年をとったため、最近では、単独行動で撮影に行くことはしないようにしています。人里離れた場所で、何かあったら、取り返しのつかないことになるためです。

 この場所で撮影する場合は、車を止める場所から、撮影ポイントまで、機材を運ぶ距離が少しあるので、大掛かりな機材は持って行くことができません。今回もポータルブル赤道儀を持参しました。それにカメラ2台と、広角レンズ2本です。

 夕方に横浜を出発しました。天気予報では、午前0時頃まで曇りで、その後晴れてくるはずでしたのた。途中で夕食を取りながら、車2台でのんびりと走りました。現場に到着したのは、午後10時頃でした。到着すると曇っていましたので、晴れてくるまで車の中で待機しました。同行した若者たちは、車外に出て、温かいお茶を飲みながら世間話で盛り上がっていたようでした。私共は爆睡してしまいましたが、目が覚めた頃には、晴れ間が広がっていました。現場に機材を運び、いよいよ撮影開始です。ただ、南の水平線近くには、漁をする船団が煌煌と明かりをともしていました。南の地平線付近は、撮影には使えない状況です。がっかりしましたが、あちらは生活がかっているので、しかたありません。予想外でした。

 薄明が始まるまで撮影を続けました。約4時間ほどですが、ずいぶんと撮影したような気がしました。明るくなる前に機材を撤収し、そのまま帰路につきました。横浜まで一気に戻るつもりでしたが、西湘バイパスの料金所を過ぎたところで力尽きてしまいました。国府津パーキングエリアに車を入れて、少し仮眠をしてから横浜に戻りました。機材を部屋に戻したのち、潮風にさらされた車を拭いてから、眠りにつきました。下に画像処理が終わった写真をアップします。

上るさそり座と木星
2018年4月13日 0時7分から0時16分
EOS5D MarkⅡ(改造機) EF35mm F1.4L USM F4.0
ISO1600 60sec6フレームコンポジット 総露出時間6分


画面右上の輝星は木星です。画面中央部の明るい星が、さそり座のアンタレスです。

輝星に絞り羽の効果による、筋が見えますが、画面左下から、右上にかけての筋が長いのが気になります。以前撮影した同じレンズの画像では、そのようなことがありませんでしたので、絞り羽の動作不良が原因かもしれません。近日中に調べてみたいと考えています。

※その後、この問題をいろいろ考えてみて、思い当たるものがありました。プロテクトフィルターを外すのを忘れていました。ノーブランドの製品だっため、おそらくそれが原因でしょう。フィルターの平面性が悪いのだと思います。次回からは、必ず外して撮影したいと思います。(4/15)

肉眼では気が付きませんでしたが、水平線の少し上のほうにも、薄雲が発生していたようです。画像では、緑色にうっすらと写っています。

画面下のほうに見える、水平方向に走る緑色の光の筋は、漁船の明かりです。星を追尾しながら撮影しているために、水平線が少し歪んでいます。

さそり座と木星・土星・火星
2018年4月13日 1時26分から1時35分 EOS1Ds MarkⅢ EF24mm F1.4L USM F4.0 ISO1600 90秒4フレームコンポジット 総露出時間6分


画面右上の明るい星は木星です。その左下が、さそり座のアンタレス、画面左下の赤く明るい星が火星、その少し右上の明るい星が土星です。画面右下の端で、明るく輝くのが漁船団の明かりです。こんなに明るい光で漁をしているとは思いませんでした。さそり座のしっぽのあたりに薄雲が出ていたようです。
はくちょう座からいて座付近の天の川
2018年4月13日 2時15分から3時5分
EOS1Ds MarkⅢ EF24mm F1.4L USM F4.0
ISO1600 90sec28フレームコンポジット
総露出時間42分


画面左下の暗い部分が水平線です。左上から、右下に水平線があります。その少し上にモヤがあったようです。星が写っていません。

天の川は水平線に対して、ほぼ平行に横たわった状態です。本来は、天の川がもう少し立ち上がってから撮影したほうがよく写るでしょう。火星と土星が画面右下に写っています。

24ミリクラスの広角レンズを使用する場合、気象条件が良いこと、撮影ポイントに光害がないことなど、理想的な条件が重ならないとクオリティーの高い写真を撮影するのは困難です。また挑戦したいと思います。
断捨離をしながら想うこと
4月12日(木)
 今日も、断捨離の作業を継続中です。現在は、過去に撮影したフィルムの廃棄作業を行っています。太陽の黒点や、プロミネンス、月面など、そのほとんどが天体写真です。白黒のフィルムが多く、それらは当時、自分で現像作業を行っていたものです。膨大な時間と労力、そしてお金がかかっています。現在の機器やソフトウエアを使用すれば、当時とは比較にならないような高解像度の画像を得ることができるでしょう。

 ゴミの分別をしなくてはいけませんので、紙のマウント、フィルム、フィルムを収めてあったアルバムなどに分けて廃棄作業をしています。これらの撮影や現像に費やした時間などは、無駄だったのでしょうか。多分、多くが無駄になったと思います。ただ、今でもそうですが、何枚もの画像を取得しても、使えるものは、ほんの1枚から2枚程度です。クオリティーの高さを追求すれば、手段が変わったとしても、やることは、今も昔も同じであるように思います。

 小説家であり随筆家でもある著名な方が、先日NHKテレビで、老後の生き方についての話をされていました。聞き入ってしまいました。人生50歳を過ぎたら、登山でいえば下山だそうです。身のまわりを整理する断捨離についても触れていました。必ずしも断捨離はよいことではない。ある程度の年になったら、前を向いて進むのではなく、後ろを向いて、その頃を思い出しながら生活することも必要。身のまわりの品々に触れながら、あの頃は、こういうこともあった。あんなこともあった・・・と思い出すことも大切だ。とのことでした。また、周りにいくら人々がいたとしても、その中でも孤独を感じるようになるから、孤独感を味わうことも大切。・・・パソコンの前で仕事をしながら聞いていましたので、この程度しか覚えていませんが、なるほど、そのような考え方もあるのかと、感心した次第です。さすがに著名な方は、考えることが違うなと思いました。

 断捨離をしていると、処分するものを見ながら、確かにその当時のことを思い出します。ずいぶん、いろいろなことがあったなとも思います。断片的にではありますが、この「星雑記」にも記述してきました。ただ、私共に万一のことがあったとき、残された家族の困り果てた姿を心配するくらいなら、体が丈夫な今のうちに作業をしておいたほうがよいと思うことも事実です。あれこれと迷いながらも、断捨離の作業進めている最中です。当分の間、続くことになるでしょう。
記録写真(アメリカ合衆国 1988年8月から9月)
4月8日(日)
 フィルムを処分する前に、貴重な写真をフィルムスキャナーにかけて、デジタル化して残しておくことにしました。下の4月8日(日)の内容に関連した写真のいくつかをデジタル化しましたので、画像をリサイズして紹介します。

 右の写真は、3月21日(水・祝)のところで記述した、ハレー彗星探査機ジオットの実物展示と思われますが、実物だったかどうかは、記憶が定かではありません。手前は、ヒッパルコス(高精度位置天文衛星)です。両方とも、欧州宇宙機関によって打ち上げられました。

 ワシントンにある、スミソニアン航空宇宙博物館におけるスナップショットです。





 すぐ下の左側の写真は、ミネソタ州立科学館のスペースシアターです。当時は、スピッツ社製のピンホール式プラネタリウムが中央のピットに置かれていましたが、稼働している様子はありませんでした。ネット上で調べてみると、オムニマックスシアター(球面スクリーンに上映する大型映像をオムニマックスあるいは、アイマックス・ドームと言います)は、現存するようですが、ネット上の写真を見る限り、プラネタリウム投影機があるようには見えません。ミネソタ州のミネアポリスセントポールにあります。

 アメリカのスペースシアターに共通しているのは、内装のカラーリングや照明が見事なことです。異次元の空間にいるような感じがします。最近の日本でもやっと追いついてきた感じがしますが、デザイン的にみると、まだまだです。








 下の右側の写真は、3月20日(火)のところで記述した、サンフランシスコにある、カリフォルニア科学アカデミーのモリソンプラネタリウムの内部です。

 この投影機は、1機だけ製造されたと聞いています。ネット上で調べてみる限り、現在は、デジタル投影機に置き換わり、ドームも傾斜型のドームが使用されているようです。

 私共が訪れたときには、水平ドーム内に、この投影機がありました。星像は、その頃の最新の投影機に比較すると、一歩譲りますが、世界に1機だけの投影機を見たときには、プラネタリウム解説者としての血が騒ぎました。ドーム内の照明も、なかなか良かったように記憶しています。





















 最後の写真は、当時のサンディエゴの街並みです。世界初の傾斜型スペースシアターを見学するために、この都市を訪れました。メキシコとの国境近くです。見学が終わると、館長がランチに招待してくれました。施設の中庭に案内されて、メキシコ料理をごちそうになりながら、館長と懇談しましたが、何を話したのかは、全く覚えていません。見学が終わったのち、この都市に宿泊しました。

 夕方になり、海岸線を散歩しながら、夕食を食べるところを探していたら、海に突き出たレストランを見つけました。シーフードのレストランだったので、そこでシーフードを食べましたが、とてもおいしかったことが記憶に残っています。








危機一髪(アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ 1988年9月)
4月8日(日)
 今日も、午前中は断捨離の作業を継続していました。本棚の中から、1988年8月下旬から9月上旬に撮影した、スライドフィルムが出てきました。ほとんどがスナップ写真です。今となっては意味がないので、これらも処分の対象となります。それらのスライドを見ながら、当時のことを思い出していました。忘れもしません。以下にそのエピソードを記述します。

 時代背景としては、バブル期の真っただ中です。私共が勤務していた職場では、UNIXというOSのもとで、すでに電子メールが使用できる環境にありました。ただし、まだ世の中に普及する前です。当時の連絡手段は、電話かFAXでした。

 アイマックス映画は、今でこそ、シネマコンプレックスなどで見ることができますが、当時は、そのハードウエアを所有する科学館・博物館でしか見ることができませんでした。私共が勤務していた科学館は、科学館として日本初のアイマックス映写機を導入していました。

 1988年の7月頃、海外から私共宛に、1通のFAXが入りました。ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館のスタッフからでした。同年の8月下旬から9月上旬にかけて、シカゴ産業科学館(Museum of Science and Industry, Chicago 現在はシカゴ科学産業博物館と呼ばれているようです)において、世界中のアイマックス映画関係者が一堂に会し、国際会議が開かれる予定になっていました。私共は、それに出席する予定で、準備を進めていました。映画制作会社などのスタッフは、それまでにも日本からの参加がありましたが、科学館の関係者が出席するのは、私共が初めてでした。4日間くらいかけて、同科学館のアイマックスシアターで、合計60本近い映画を見ます。その中から、私共の勤務する館で、上映するのにふさわしい作品を選別してくることが主な目的でした。

 当時の日本の科学館・博物館は、海外の関係者にとっては魅力的だったようです。映画制作会社が競って、日本でのマーケット拡大に乗り出していました。会議の中では、パネルディスカッションも予定されていました。世界の名だたる科学館・博物館の館長クラスがパネラーとして名を連ねていました。そのパネラーの一人として、私共に加わってほしいというリクエストのFAXでした。私共がパネラーになることで、日本の現状を把握するつもりだったのではないでしょうか。当時の状況を考えると、断るわけにはいきませんでした。同時通訳をつけてくれればという条件付きで、オファーを引き受けることにしました。

 シカゴは、ミシガン湖に面する都市です。とても良い都市だなと思いました。宿泊した高層ビルのホテルの窓からは、毎日のようにミシガン湖に上る朝日を見ることができました。夜は、遊覧船が会議に出席していた関係者を乗せて、湖をクルーズしながらの夕食です。まるで、映画の一場面の中にいるようでした。

 会議の会場となったシカゴ産業科学館には、有名な展示物があります。男女2体の人体のスライス(本物)です。Prenatal Development(胎児の成長)のエリアあるのは、胎児の標本です。第1週目から37週目までの本物(ホルマリン漬け)です。衝撃的でした。ほかにも、見る者を圧倒するような展示物がずらりと並びます。

 科学館において、パネルディスカッションの担当者とお会いしました。「同時通訳は大丈夫ですか?」との私の問いかけに対して、「もちろん!」という心強い返事でした。そしていよいよ、パネルディスカッションの始まりです。パネラーが紹介されました。もちろん、私共も。テーマは、アイマックス映画の将来を議論するものだったように記憶していますが、詳細は思い出せません。早速イヤホーンを耳に取り付けて、同時通訳を聞いてみました。・・・血の気が引く思いでした。確かに日本語でしたが、意味の通じない日本語でした。・・・これでは、英語で聞いてしまったほうがまだまし・・・と思いましたが、この場面で騒ぎ立てるわけにもいかず、なるようになれ・・・という思いでした。緊張感は全くなく、開き直った気分です。

 と、その時、司会者から、「これからパネルディスカッションを始める予定でしたが、予定が立て込んでいるため、タイムリミットが来てしまいました。申し訳ありませんが、パネルディスカッションは、中止とさせていただきます」。「・・・おいおい・・・」と思いながらも、胸をなでおろした瞬間でした。

 この時の視察で、アメリカの名だたる科学館や博物館を見ました。バックヤードも含めてです。そのスケールの大きさと、個性的な展示に圧倒されました。これらの施設に太刀打ちできる日本の施設は、おそらく数館しかないのではないだろうかと思って日本に戻ってきました。
慰労会(東京都中央区銀座 4月7日)
4月8日(日)
 久しぶりに東京に出ました。プラネタリウム解説者の後輩のふたりが、私共に対して慰労会を開いてくれました。移動式プラネタリウムの仕事を昨年12月に終了したこと、そして長年の解説者としての労をねぎらいたいとのことでした。

 JR有楽町駅でおりて少し歩き、数寄屋橋通りを入ったところに、目的の場所がありました。その3階に行くと、個室のフランス料理とのことでした。このところ、何かとごちそうをいただく機会が多く、体のためにはあまりよくありませんが、せっかくの機会でしたので、残さずに全部食べました。そして、おいしいものでした。ただ、このような機会が続くと、舌がそれになじんでしまいます。このようなおいしいものは、たまに食べてこそありがたみがあると思っています。

 後輩のふたりですが、現在は、それまでのキャリアを生かして、それぞれが異なる分野で活躍しています。ふたりの、仕事を含めた近況を聞くと、頑張っているようで安心した次第です。慰労会を開いてもらえるとは、思ってもいなかったので、その気持ちにとても感謝した次第です。個室でしたので、プライベートな話も気兼ねなくすることができました。

 レストランに行く途中で、見覚えのある建物の前を通過しました。2015年7月10日(金)に、株式会社スターフライヤーが主催となり、JR有楽町駅前広場に、仮設ドームを設営して、プラネタリウムの投影をさせていただいたことがありました。機材はもちろん車で運搬したのですが、車を駐車しておく場所として、その建物の中の駐車場を指示されました。一方通行が多い場所であっため、どこをどう走ったのか、記憶が定かではありませんが、駐車場の入口は覚えていました。今となっては、それも懐かしい思い出です。

 慰労会が終わり、レストランを後にすると、そのまま、秋葉原に向かいました。ある望遠鏡ショップに立ち寄りました。いくつかの理由で、店長さんに挨拶することが目的でした。挨拶を済ませると、展示されている望遠鏡を見たのち、早々に横浜に戻りました。欲しくなる望遠鏡ばかりですが、私共の年齢で購入しても、使用する期間は短いでしょう。久しぶりの東京でしたので、少し疲れました。帰りの電車の中で爆睡してしまいました。
はじめの一歩
4月2日(月)
 天文情報誌「天文ガイド」の昭和48(1973)
年2月号の裏表紙の一部です。五藤光学研究所の広告として、GM-15型プラネタリウムが掲載されたのですが、その下にこの絵も掲載されました。

 プラネタリウム解説者としての、私共の出発点が、この民間のプラネタリウム施設です。水戸市内の目抜き通りの商店街の一角にある、眼鏡店の屋上に、20センチ屈折望遠鏡を備えた5メートルドーム。そして、このイラストでは見えませんが、ドームの奥に、プラネタリウム用の7.5メートルドームがありました。投影機は、下の3月17日(土)のところで記述したGS-8型機です。下で星の数を7000個程度と記述しましたが、カタログを見たら3500個でした。お詫びして訂正します。

 今の投影機に比べると、星数も少なく、機能も基本的なものだけですが、ここで多くの基本的なことを学ばせていただきました。

 当時、私共が勤務した職場の同僚には、現在も天文の世界で活躍している女性がいました。連絡を取ることは、今ではほとんどありませんが、「胎内星まつり」などでは名前を知られている方です。

 建物も含めて、現存しませんが、雑誌も処分するため、ここに記録として残しておきます。
月と桜(3月31日)
4月2日(月)

 満月のこの日、横浜の桜は、例年よりも1週間早く満開の時期をむかえていました。今年はどこに撮影に行こうか、考えている時間もなく満開になってしまいました。この日の満月は、ほぼ真東から上ってきます。午後のスケジュールを少し早めに終わらせ、近くの公園で待機しました。月と桜を一緒に写してみたかったのですが、結果はいまひとつでした。

 何本も横に走る電線に邪魔されて、納得のできる構図を探しているうちに、月がどんどん高くなってしまったためです。難しいものですね。せっかく撮影したので、1枚アップします。画像の周辺減光は、画像処理で取り去ることは可能ですが、そこまで手間暇をかけるほどの写真ではないので、そのままアップします。今年の桜の撮影は、これでおしまいです。

写真のデータ 月と桜 2018年3月31日 18時11分 自宅近くの公園にて
EOS1Ds MarkⅢ EF300mm f/2.8L USM 2Xテレコン F5.6 1/10 IOS200

スカイウォッチャー 表紙イラスト原画
4月2日(月)
 断捨離の作業を継続中です。午前中2時間も作業をすると疲れてしまいますので、毎日、少しずつ作業を進めています。まだ、全体の20パーセント程度しか進んでいません。今回は断捨離の第1弾ですが、私共の、今の年齢でこの大変さです。年を重ねると、さらに大変になってしまうのでしょうね。できる限りのことを、今のうちにしておきたいと思っています。

 作業をしながら、最近になって考えてしまうことがあります。果たして、今行っているこの作業は正しいのかどうか。もし、これらの資料が保管できるだけの、充分なスペースがあったとすれば、それは、整理のみにとどめて、後世に引き継いだほうが良いのかも知れません。ただ、子孫のだれもが、私共の取り組みに、興味を持たないとすれば、それは無意味でしょう。誰かが興味を持ってくれたとすれば、それは、あと数十年もすれば、お宝としての価値が充分に出てくるでしょう。現時点で、すでに絶版となり、入手困難な資料がほとんどであるからです。手元に保管しておいても、残された家族が迷惑するだけなので、思いきって手放すのですが、これでよかったのかどうかはわかりません。

 私共のご先祖様の、何人かは、とても几帳面だったようです。当時の自筆の記録が残っています。すでに古文書のレベルで、読むことすら困難ですが、親戚の知人に、古文書に詳しいグループに属している方がいて、現代語に訳してくれたそうです。それでも難解な文章ですが、一時期、精査したことがあります。ご先祖様は、こんなことをしていたのか・・・。と思った次第です。残すべきか、処分すべきか、迷うところですが、すでに、関係者に差し上げたものもありますので、このまま作業を進めるつもりです。

 天文情報誌「星ナビ」の前身である、「スカイウォッチャー」誌の表紙イラストを担当させていただいた時期がありました。その原画が押し入れの奥から出てきましたので、3点ほどアップします。おそらく、原画もいずれは誰かに差し上げることになるのでしょう。現時点では、継続して保存です。
講演会(上山治貴氏 横浜サイエンスフロンティア高校 天文部 3月28日)
3月29日(木)
 毎年この時期になると、横浜サイエンスフロンティア高校の天文部の生徒、OB・OGを対象に、同校の教室のひとつをお借りして、講演会を開催しています。科学技術顧問の立場で、天文部の先生と日程などを調整の上、実施しているものです。講師となっていただく方々は、全て私共の知人です。

 今回は、株式会社アストロアーツの上山氏にお願いしました。同社を立ち上げたメンバーの一人です。私共とは、その頃からのお付き合いです。ステラナビゲーター、ステライメージなど、天文の世界では、定番と言われるソフトウエアの開発の中心メンバーです。

 上山氏が、ソフトウエアの開発に心血を注いでいる頃、私共は日食の計算論に取り組み、同じく、そのプログラム開発に多くの時間を費やしていました。のちに、それらのノウハウを上山氏に託して誕生したのが、エクリプスナビゲーターです。

 会社経営の話、プログラム開発の話、そして、今後の話、高校生へのメッセージなど、様々な内容で話をしていただきました。生徒たちも熱心に聞いていましたが、私共にとっても、とても興味深い内容で、講演会をセッティングしてよかったなと思った次第です。講演会終了後には、上山氏を囲んでの懇談会を行いましたが、そこでも、生徒たちからたくさんの質問が飛んでいました。鋭い質問に、上山氏も頭を悩ます場面などがあったようです。知識を詰め込むための講演会ではありません。上山氏の生き方を、生徒たちには、これからの人生の、ひとつの道しるべにしてもらいたいと願っています。

 断捨離の中で不要となり、廃棄するにはあまりにももったいない、軌道計算関連の文献の一部や、それらを活用た計算プログラムのソースなどを上山氏に託しました。ちょうどよい機会でした
慰労会(逗子マリーナのレストラン 3月27日)
3月29日(木)
 ある学校の先生が、この3月いっぱいで定年退職となります。これまで大変お世話になった先生です。慰労の意味を兼ねて、久しぶりにお会いして食事会をすることにしました。場所は、逗子マリーナのイタリア料理のレストランです。

 逗子マリーナは、昨年の1月25日(水)に、移動式プラネタリウムの投影をさせていただいた場所です。世界的に知られるある方の記念パーティーにおいて、移動式プラネタリウムの投影と、天体望遠鏡で星を見せてほしいという、同施設を所有し、管理運営する株式会社リビエラリゾートの経営陣のある方からのオファーでした。私共が事業を立ち上げた当初から、何かとお世話になっている方でした。

 前述の先生を食事にお誘いするのには、ふさわしい場所であると思ったので、この施設のレストランを利用させていただくことにしました。窓辺の席を確保していただきました。海を挟んで、対岸には鎌倉、そして江の島の景色が続きます。春霞のため、残念ながら富士山を見ることはできませんでした。しかし、先生には、この美しい景色の中で、ゆったりと話をしながらの、イタリアンのランチを気に入っていただけたようでした。

 定年退職後は、新しいチャレンジを行うそうです。再任用という手段もあったはずですが、それを選択せずに、これまでの経験を活かしながらの、新しい出発だそうです。不安と期待が入り混じっているのが、現在の心境だということでした。還暦を迎えてからの新たな挑戦には、頭が下がる思いでした。成功してもらいたいと思っています。

 横浜・逗子・鎌倉の一帯は、現在、桜が満開です。例年よりもかなり早めであったため、心の準備ができていませんでした。今年は、遠出して桜を見に行くことはしないことにしました。今週末にカメラを持ち出し、近所の公園などで、これまでとは違った視点で写真撮影に取り組むつもりです。

 写真は、レストランに入る前に、先生に撮影してもらった、私共の記念写真です。このレストランで食事をするのは、久しぶりでした。
噂のハンバーガーショップ(岐阜県関市 3月24日)
3月26日(月)
 まなびセンターで、市民天体観望会の終了後に、ある方の労をねぎらうため、天体観望会を手伝っていただいている、天文ボランティアさん数名とともに、ハンバーガーショップに行きました。

 以前から、天文ボランティアさんなどから話を聞いていた、噂のハンバーガーショップです。場所はわかっていたのですが、単独ではなかなか入る勇気がありませんでした。さらに、私共は、ハンバーガーを食べる習慣がありません。

 食べ残すと店主に怒られる。とか、下手なことを聞くと、店主の機嫌を損ねる。とか、「お客が店主に気を使わなければいけない」お店なのです。

「そんなお店、私なら絶対に行かない。なぜそこまでしてそのお店に行くのですか?」
「いや、時々食べたくなるのです」
「何がそんなにおいしいのですか」
「いや何がと言われても、とにかく、また食べたくなるのです。でも、残すと怒られるので、おなかをすかせていかないと大変なことになります。」
「???」

 私共と、天文ボランティアさんとのやり取りです。折に触れてこのような会話が続いていました。いつもは、翌日も投影があるため、早めにホテルに戻ることにしていますので、食べたことがありませんでした。今回は、ある方の労をねぎらうためとのことだったので、私共も食べに行くことにしました。

 恐る恐るお店の中に入りました。10人も座ればいっぱいになりそうなお店です。事前にTさんが予約を入れておいてくれました。Tさんは、アメリカにいたことがあるらしく、ここのハンバーガーは、そのアメリカを思い出す味だとのことでした。

「昨年の皆既日食の時、アメリカで、毎日のようにハンバーガーを食べさせられましたけど、おいしいものはありませんでしたよ」(私)。あまり期待をしてはいけないなと思っていました。

 店主は、見るからに強面の感じでした。テキサスバーガーのセットを頼みました。ハンバーガーと、フライドポテト、それにソフトドリンクのセットで、1000円オーバーです。値段はやや高めでした。

 店主の顔色をうかがいながら、ボランティアさんたちと、世間話が始まりました。店主は、その間に注文されたハンバーガーを準備していました。横目で店主の行動をチラチラ見ながらの会話です。ぎこちない思いでした。

 やがて、テーブルに置かれたハンバーガーのセットを見て、びっくり。厚みが15センチくらいある巨大なものでした。写真がそれです。奥のコーラーの紙コップは、かなり大きなサイズです。それと比べても高さがわかると思います。手前がフライドポテトです。手作り感が満載でした。

 食べてまたびっくり。「あ・・・うまい!」。バンズから、中の具材、そしてソースまで、どこを切り取ってもとてもおいしいものでした。今まで食べたハンバーガーの中では、最もおいしいものでした。かなりのボリュームでした。ポテトまでは、到達しないくらいでしたが、残すと怒られると聞いていたので、頑張って食べました。しかし、さすがに無理でした。バックにしのばせて、持ち帰りました。

 ポテトには、謎のパウダーがかかっていました。そして、これが後を引くおいしさなのです。いったい何味なのだろうと思いながら食べましたが、確かに、アメリカに行くと、こんな味のポテトがあったなと思いました。

 食べ終わると、かなり満腹になりました。1000円の価値は、充分にあると思いました。帰りがけに、店主に「とてもおいしかったです」と声をかけると、店主は、満面の笑みを浮かべて、「ありがとうございます。また是非来てください」。

「あれあれ、聞いていたイメージと違うぞ!」と思いました。天文ボランティアさんたちも、これには驚いた様子でした。このおいしさなら、また是非食べてみたいと思いました。天文ボランティアさんのひとりが、「また食べたくなる」、と言っていましたが、まさにその通りだと思いました。

 予約を入れてくれたTさんは、ここの常連客だそうです。以前、Tさん自身の経歴を聞いて驚きました。世の中には、本当にすごい人がいるものだなと思った次第です。関市に行く楽しみが、ひとつ増えました。ホテルの近くにある、元祖「すっぽんラーメン」店もとても気になっています。・・・でも、ほんとうにこれで、あの方の労をねぎらったことになったのかな?
仮設プラネタリウム(関市まなびセンター 岐阜県関市 3月24日から25日)
3月26日(月)
 岐阜県関市にある、まなびセンターの直径12メートルドームにメガスターゼロ投影機を仮設して、3月24日(土)と25日(日)にプラネタリウムの投影を行いました。当日夜9時の星空解説と、テーマ解説です。今回のテーマは、「銀河の話」です。天の川の星たちやガスの積み重なりのない、春と秋の星空に天体望遠鏡を向けると、銀河がたくさん見えます。なぜ、そのようになるのかの理由と、そもそも銀河とは何か、などについて、時間と距離の概念も交えながら解説をしました。

 24日(土)の夜は、市民天体観望会です。天気が良かったのですが、参加者は、いつもに比べるとやや少なめでした。月と冬から春にかけての星雲星団をご覧いただきました。最初のうちは晴れていましたが、次第に雲に覆われてきたので、そこで終了となりました。

 25日(日)の午後は、星空のコンサートです。恒例となってきました。今回はサクソフォンとギターによる演奏と、星空解説のコラボです。2人のユニットですが、ユニット名があるわけではありません。サクソフォンの奏者とは、2度目のコラボになります。演奏と演奏の合間の語りが、想像していた以上に真面目なものだったため、星空の解説のほうは、ジョークをたくさん挟んで対応しました。

 移動式プラネタリウムの仕事を終了してからは、まなびセンターの投影のみの仕事を継続しています。1月に投影を行って以来、2か月ぶりだったので、大丈夫かなと心配しましたが、声質も良いほうだっため、まだまだ大丈夫だろうと思った次第です。

 帰りは、東名高速の大井松田インターチェンジから先で渋滞していました。事故に伴う渋滞のようでした。今回、初めて乗用車で関市まで往復しました。帰りの高速道路での、全車速クルーズコントロールの威力は、たいしたものだと思いました。前方が渋滞していると、それを判断して、速度を抑制するばかりでなく、前車が停止すると、自動的に車を停止状態にします。動き出すと、アクセルを軽く踏むか、クルーズコントロールのレバーを操作すれば、再び、前車を程よい間隔で追尾します。自らの目視によるよりも安全だと思いましたが、過信は禁物ですね。久しぶりに横浜・関市間を往復したので、大変疲れました。

 写真は、星空のコンサートの最中です。今回は演奏者のお二人をクローズアップしてみました。
おにぎり
3月21日(水・祝)
 夕方になり、雨は小降りになってきました。夜から再び雪になる可能性もあるので、今日は、日課である夕方の散歩も、卓球の練習も控えました。今日は食材の買い出しに行く予定でしたが、ありあせのもので済ませることにしました。晩御飯のおかずは何とかなりそうでしたが、久しぶりに温かいお米で作る、おにぎりが食べたくなりました。

 たいした具材がなかったので、塩昆布を入れることにしました。海苔はだいぶ前に調達しておいたものですが、安いものなので風味とかは、ありません。それでも、熱々のおにぎりは、とてもおいしいものでしたので、満足しました。1食分の食事代を節約できまし。おにぎりは、かなりの数を握っていますので、慣れっこです。

 そのおにぎりを食べながら、こどもの頃に食べたおにぎりのことを思い出していました。

 当時は、家にはまだ電気炊飯器がなく、母は、かまどでご飯を炊いていました。お米は、親せきの家が農家だっため、新米をくれることがたびたびありました。おにぎりの具材は、塩引きです。北洋産のものだったようです。当たり前に食べていました。しかし、この塩引きは、名産地のひとつである、新潟県村上市で、移動式プラネタリウムの投影をさせていただいた折に、お土産に買ってきた塩引きの味と、同等のおいしさだったのです。スーパーマーケットで購入する塩鮭とは、まったく別物でした。ずいぶん贅沢なものを、当たり前に食べていたのだなと思った次第です。

 海苔は、母が家の前の磯で、岩にへばりつく海藻をとってきたものから自家製で作ったものです。とても風味豊かなものでした。みそ汁は、その磯でとってきたアサリが具材となります。味がとても濃いおいしいものでした。当時は、それが当たり前だと思っていましたが、今にして思えば、極めて贅沢なものを食べていたように思います。

 先日の結婚式の折、式場近くの駅前で、教え子たちと軽いお昼をどこで食べようかという話になったとき、駅前のおにぎり屋さんに入りました。値段もリーズナブルでおいしかったのですが、感激するほどではなかったのは、こどもの頃に食べていたおにぎりの味覚が、記憶のどこかに残っていたためではないかと思っています。
天文情報誌「スカイウォッチャー」表紙イラスト
3月21日(水・祝)
 春分の日の今日、横浜は珍しく雪が積もりました。夕方になると雪は小降りになり、雨に変わってきましたが、天気予報によれば、明日の午前中までは、このような天気が続くだろうということです。

 このような天気なので、今日の午前中の、書類等の処分は軽めの作業とし、午後からは部屋でじっとしています。書類や書籍のほうは、整理しても整理しても、きりがないくらい出てきます。当分はこのような作業の繰り返しになるでしょう。

 天文情報誌「星ナビ」の前に発行されていた、天文情報誌「スカイウォッチャー」(月刊誌)の表紙に、イラストを提供させていただいていた時期があります。1991年頃の2年間です。スペースの関係で、その頃の天文情報誌は、全て処分してしまいましたが、私共が執筆した解説記事や、イラストを提供していた表紙の部分だけは、切り取って現在も保管しています。その原画も保管しているはずですが、押し入れの奥のほうに入っていて、まだ出てきません。今日は、保管していた表紙の部分が出てきましたので、そのうちのひとつをアップします。

 この号は、ハレー彗星の回帰から5年が経過した時期に、それを特集したもののようです。そこで表紙も、ハレー彗星を観測する探査機「ジオット」が、ハレー彗星に接近する様子をイラストにしたものです。

 ジオットは欧州宇宙機構(ESA)が1985年に打ち上げたハレー彗星探査機です。ハレー彗星の近距離まで接近して、核の写真を撮影しました。その接近する途中の様子をイラストで表現したものです。

 今、改めてこのイラストを見てみると、ずいぶんへたくそだなと思う次第で、恥ずかしくなりますが、当時は必至で描いていました。現在のイラストは、エアブラシを使用しませんが、当時は、エアブラシをツールとしてイラストを描いていたため、このようなグラデーションのあるオブジェクトを描くことは、筆を使用するよりも楽でした。ただしその一方で、マスキング処理や、エアブラシのノズルの調整などが大変でした。

 これらの表紙は今後も保管し、体の自由が利かなくなる直前に、断捨離の第2弾を実施し、その時に処分するつもりです。

 まだまだ、いろいろなものが出てきそうです。星図や星表などもたくさんあるのですが、これらの多くがデジタル化されている現在、所有していても活用する場面もないので、処分の対象です。
プラネタリウム関係文献3冊
3月20日(火)
 プラネタリウム投影機に関する文献が3冊出てきましたので、紹介します。書店などからのルートでは入手ができません。3冊とも極めて貴重な文献です。

 1冊目は、モリソンプラネタリウムに関するストーリーです。1機だけ製造されと記憶しています。だいぶ前に見学しました。サンフランシスコの、ゴールデンゲートパーク内のカリフォルニア・科学アカデミーの中にあります。自然史博物館、水族館、そしてプラネタリウムなどから構成されています。

 ネット上で調べてみると、この投影機は、現在使用されていないように思います。ドームそのものが傾斜型になっており、デジタル映像で宇宙を再現しているような感じです。

 私共が同施設を訪れたときには、左の写真の投影機が、水平ドーム内で稼働していました。五藤光学研究所が製造するプラネタリウムのモデルになったものです。恒星球が回転軸の中心近くにあるタイプです。一方、惑星棚を挟んで、恒星球が一番外側にあり、鉄アレイのような形状をした投影機は、ツアイス型と呼ばれます。ただし、現在は1球式が主流ですので、このような呼び方は、今ではなくなりつつあります。

 ここを訪れたときには、行政視察ではなく、プラネタリウムの投影を見る入場者として見学しました。しかし投影を見たのち、施設のスタッフに、日本から来たプラネタリウム関係者であることをお話しすると、施設のバックヤードなども含めて、丁寧に内部を案内をしてくれました。その時に、モリソンプラネタリウムに関する文献が残っていないかどうか尋ねると、この文献をプレゼントしてくれました。

 のちにその施設から、当時私共が勤務していた科学館を見学に、何名かのスタッフがやってきました。彼らは、バカンスで日本を訪れているとのことでした。私共が勤務する、プラネタリウム施設を案内しました。その中に、見覚えのある人物が混ざっていました。急いで名刺を調べてみたら、私共が同施設を見学した時に、案内してくれたその方でした。



 私共にとっては、同施設の見学は、聖地を訪れるような気持でした。投影が終わったのち、観客が解説者のまわりに集まり、天文学について議論をしている光景は、日本では見かけることが少なく、大変うらやましく思った次第です。

 関係者でなければ、まず入手できない貴重な資料でしょう。プラネタリウムが新しくなったと思われる現在、同施設にこの文献が存在しているのかどうかも疑問です。












こちらは、カール・ツアイス社のプラネタリウム投影機に関する文献です。日本国内で、カール・ツアイス社の投影機を所有している館には、存在する文献かも知れません。原本は入手できませんでしたので、これは、そのコピーです。

 プラネタリウムの歴史や、カール・ツアイス社の投影機の技術的な内容について、解説されたものです。

カール・ツアイス社製の投影機は、一度も使用したことがありませんが、たまたま、投影機を所有するある施設から、講演を依頼されたことがあり、コントロールコンソールに立ったことがありました。とても重厚で、気持ちの良いものでした。


 現在のプラネタリウムは、観客の視野を遮らないように、投影機が小型化の傾向にありますが、ドームの中央に、ドーンと鎮座したこの投影機の重厚感は素晴らしく、これぞプラネタリウム投影機というイメージです。憧れの投影機でした。




 同じく、カール・ツアイス社製投影機の文献です。上記の文献に比較すると、年代は少し後のものです。こちらは原本を入手しました。もちろん、関係者でなければ入手することも困難です。

 知り合いのカール・ツアイス社の関係者にお願いして、本国から取り寄せてもらいました。その当時の、最新の投影機の技術的な内容などについて記載されてます。写真もカラー化されて、見ていても飽きない(私共だけ・・・)ものです。














 この貴重な3冊は、廃棄処分にするのは、あまりにももったいないので、後輩のプラネタリウム関係者に、プレゼントしようかと考えているところですが、苦労して入手したものばかりなので、プレゼントしてしまうのも、いかがなものかと、迷っています。

 保管しておいても、私共にとっては、宝の持ち腐れにしかならないので、思い切って手放すことになるのではないでしょうか。

1976年10月23日オーストラリア皆既日食の思い出(オーストラリアのボンバラにて)
3月19日(月)
 断捨離の一環として、書類や雑誌類の廃棄作業を継続中です。表題の資料が出てきました。処分しますが、記憶もなくなってしまいそうなので、忘備録として、ここに残しておくことにしました。初めての海外旅行が、この南半球への観測ツアーでした。

 当時私共は、まだ生まれ育った那珂湊市(現ひたちなか市)で暮らしていました。海辺の小さな町です。他界した母が、私共が、オーストラリアに行くことを、誰かに話したらしく、町中のうわさになってしまったようでした。その当時、オーストラリアに行くこと自体が、極めて珍しいことだったためです。

 ツアーの内容は、下記のとおりです。
 1976年10月19日(火)羽田発 10月20日(水) シドニー着
 10月21日(木) キャンベラからボンバラへ移動
           途中でストロムロ天文台等見学
 10月22日(金) ボンバラの観測地点にて準備
 10月23日(土) 皆既日食観測、終了後キャンベラへ移動
 10月24日(日) キャンベラからメルボルン
           市内観光
           ニュージーランドのクライストチャーチへ
 10月25日(月) クライストチャーチ市内観光
 10月26日(火) クライストチャーチから、マウントクックへ
           氷河観光(ただし、天気が悪く中止)
 10月27日(水) マウントクックからロトルアへ移動
 10月28日(木) ロトルアからオークランドへ
           途中で、ワイトモの鍾乳洞等を見学
 10月29日(金) オークランドからシドニーへ
 10月30日(土) シドニーから羽田へ

 出国時に、出国審査をパスして、いざ飛行機に搭乗しようとしたとき、私共のバックがなくなっていました。パスポートやトラベラーズチャックが入っていたので、血の気が引きました。大声を出して、ロビー内を探し回りましたが、見つかりませんでした。そのうち、同じツアーの参加者のひとりが、私共のところに歩み寄ってきました。なんと、自分のバックと間違えて、私共のバックを持って行ってしまったようでした。初日から、慌てふためくツアーとなってしまいました。

 皆既日食を観測した場所は、ボンバラという町でした。町の入り口まで行くと、少年たちが出迎えてくれましたが、なんとその少年たちは、タバコを吸っていました。とんでもない町に来てしまったなという印象でした。日本人が入ったのは、私たちが初めてでした。

 観測地は、個人が所有する牧場の中です。世界中から多くの観測者たちが押し寄せていました。

 前日の準備の日は、とても良い天気でした。屋台が出ていました。私たちのツアーの参加者は、そこでパンとステーキを買い求め、ランチとしていたようです。私共は、シドニーから来ていたご夫婦と仲良くなり、ご夫妻のキャンピングカーに招かれました。そこでランチをごちそうになり、持参された望遠鏡のことや、日食の話で盛り上がりました。

 帰国後、ご夫妻から、天文雑誌とともに、写真が送られてきました。その後、しばらく文通しましたが、のちに、途絶えてしまいました。

 文通は、もうひとりの人物とも行いました。キャンベラからメルボルンに向かう飛行機の中で、タスマニア島から修学旅行に来ていたこどもたちとお友達になりました。たまたま、機内に望遠鏡の鏡筒だけ持ち込んでいたので、地上の景色を見せてあげました。すると、CAからパイロットまで出てきました。望遠鏡が珍しかったようでした。機内の中で人だかりができてしまいました。・・・そういえば、この機は今、誰が操縦しているの・・・。そのこどもたちの中の、ひとりの女の子と、文通がしばらく続きました。

 マウントクックのふもとに、テカポモーターインという宿泊施設がありました。ネット上で調べてみると、このホテルは現存しないようです。テカポ湖の畔には、小さな教会がたたずんでいました。グッドシェパード教会と言います。まるでムーミンの世界から抜け出したような教会です。このような場所で結婚式を挙げることができたら、どんなにロマンチックだろうと思った次第です。

 ここでの星空は、第1級のものでしたが、実は、別の町に滞在した折、バスのドライバーさんに頼んで、車で30分ほど走った、真っ暗な場所に連れて行ってもらいました。

 懐中電灯を照らしても、暗すぎて、周りがどのような場所であるのか、見当がつきませんでした。羊が鳴いているようでした。南十字星が周極星となって、逆さまになりながら、地平線を這っていく姿を初めてみました。後にも先にも、この時以上の星空にお目にかかったことがありません。まるで、宇宙空間に放り出されたような感覚でした。

 クライストチャーチの大聖堂近くにある、格式高いホテルでのディナーは、後にも先にも、これ以上のフランス料理に出会ったことがないくらい、レベルの高いものでした。このツアーに参加していた、大学の先生から、ツアー中の食事で、テーブルマナーの基本を教えていただきました。

 写真は上から、当時、ご夫妻から送られてきた天文情報誌「スカイ・アンド・テレスコープ」1977年1月号の、この日食関連の記事と、右ページに添付された記念写真、雑誌の表紙、そして、ボンバラにおいて私共がセルフタイマーで撮影した写真に、ご夫妻が文字を入れて送り返してくれたものです。

 皆既日食のほうは、雲に阻まれてみることができませんでしたが、様々な素晴らしい体験をしたツアーでした。体の自由がきくあいだに、もう一度訪れてみたいと思っているのが、このオーストラリアとニュージーランドです。どちらもとても素敵な国でした。今から41年以上前の思い出です。当時、23才でした。
結婚式(八王子市 3月18日)
3月19日(月)
 昨日は、教え子のひとりの結婚式がありました。八王子まで出かけました。結婚式場は、中央高速から八王子でおりて、横浜方面に戻るときに、いつも気になっていた立派な外観の建物でした。あれは何の建物だろうと、いつも思っていましたが、結婚式場だったのですね。

 サラリーマンを辞めてしまってから、結婚式に出る機会も、激減しました。久しぶりに出席しました。とても良いものだと、改めて思った次第です。途中で涙が出そうになる場面が何度もありました。幸せな家庭を築いてくれることを願っています。

 久しぶりに電車で往復したことと、神経を使ったため、だいぶ疲れましたが、今日は本来の調子に戻っています。

 だいぶ前に作っておいた礼服です。2着ありますが、そのうちの1着は、体形が一番スリムな時期のものです。独立してからは、サラリーマン時代に比べて、ストレスが幾分緩和されたためか、やや太ってしまいました。そのため、この礼服を着ることができなくなってしまいました。昨日、試しに着てみたところ、なんと、すんなりと着ることができました。ウエスト、お尻、背中などの贅肉が、すっかりそぎ落とされたためだと思います。卓球の練習を始めて、約1年半が経過しますが、その効果は、絶大でした。期待していなかっただけに、驚いたと同時にうれしくなってしまいました。私共の年代になると、無理のない範囲で、体に適度な負荷をかけることが、どれほど大切なことかを実感した次第です。

 下で記述した望遠鏡類のパンフレットは、その結婚式に出席した、もうひとりの教え子にプレゼントしました。
パンフレット-その4
3月17日(土)


 西村製作所のカタログです。左の写真の15センチ、20センチ反射望遠鏡もまた、憧れの的でした。特に、架台部の曲面に美しさにひかれたものです。経緯台式望遠鏡の場合は、赤道儀のように星を追尾できないので、上下、水平微動装置を使用して、天体を追いかけます。その装置も含めて、欲しいと思っていた望遠鏡ですが、高価であるため、こちらも高嶺の花でした。これらの天体望遠鏡のパンフレットは、教え子にプレゼントする予定です。
パンフレット-その3
3月17日(土)


 天体望遠鏡のパンフレットです。左はニコンの8センチ屈折望遠鏡です。当時の名器といってよいでしょう。あこがれの望遠鏡でしたが、高価すぎて高嶺の花でした。パンフレットを眺めているだけでも楽しいものでした。右の写真は、五藤光学製の20センチ屈折望遠鏡です。こちらは据え付け型です。ドーム内に据え付けることを前提に製作されています。ピラーの部分だけでも、私共の身長くらいの高さがあります。鏡筒の長さは、F15の場合で、3メートル以上、F12の場合でも、2メートル50センチを超えます。8センチ屈折望遠鏡が同架されていました。

 水戸の眼鏡店のプラネタリウム施設に勤務していた時に、この望遠鏡を使用していました。接眼部に太陽投影板(かなりの重さです)を取り付けて、毎日のように太陽黒点のスケッチを続けていました。太陽を見ることにより、対物レンズをカビから守ることと、望遠鏡をベストの状態で維持することが目的でしたが、そのおかげで、太陽黒点や、プロミネンスの活動の様子がどのようなものなのかを、ある程度理解することができました。
パンフレット-その2
3月17日(土)

 午前中は、断捨離の作業を継続中です。今日は、本棚を整理しました。ある封筒の中から、プラネタリウムや天体望遠鏡のパンフレットが出てきましたので、紹介します。いずれも五藤光学研究所のプラネタリウム投影機のパンフレットです。この2機は、私共がこれまでに使用してきたプラネタリウム投影機です。記念にパンフレットを保存していました。

 左の写真のGS-8型機は、8メートルドームに対応する投影機です。水戸のプラネタリウム施設のある眼鏡店に勤務している頃に使用していた投影機です。星の数は7000個程度ですが、星像はシャープでした。投影機としては、小型の部類ですが、基本的な性能は大型機となんかわかるところがありません。数年前に、ある学校の施設で、この投影機が現役で稼働しているのを見ました。コントロールコンソールも当時のままのレイアウトでした。少し操作をさせていただきましたが、1時間も操作していれば、当時の感覚がよみがえってくるものでした。6年間ほど使用しましたが、その後、修行のために、宮崎に行くことになりました。

 宮崎で使用していた投影機は、右側の写真のそれです。GM-15型投影機です。15メートルドームに対応します。星の数は、同じく7000個程度だったと思います。基本性能がしっかりしており、私共が使用した6年間、故障知らずでした。施設を閉鎖することになったために、閉鎖の作業をしましたが、とてもつらかったことを覚えています。最後に、お世話になった投影機をきれいに磨き上げて、お礼を言って職場を後にしました。

 これらのパンフレットも、必要がなくなりなりました。処分するつもりですが、できれば、メーカーの関係者に差し上げたいと思っています。
伊豆半島最南端での天体写真撮影のひとコマ
3月15日(水)

 伊豆半島最南端での天体写真撮影時、モータードライブ関係のトラブルで撮影ができなかったのは、3月14日(水)のところで記述したとおりです。そのトラブルを調べている間に、教え子が、すかさず私共にカメラを向けて、撮影をしていたそうです。しかも、星空をバックに。画像を送ってもらいました。私たちが、どのような場所で撮影を行っていたかが、ご理解いただけるのではないでしょうか。

 画面の右下で、しゃがみ込んで赤いライトを照らしながら、装置を調整しているのが私共です。2台のカメラは、さそり座付近の天の川の方向に向いたままです。画面右上の明るい星は、木星です。その左下に見える、赤く明るい星が、さそり座のアンタレス、そのさらに左側の赤い星が火星、そのやや左下に土星が続きます。

 水平線の手前には、漁をしている漁船の明かりが筋を引いています。当日は、やや霧が発生していたために、明るい星たちがすこしうるんでいますが、それがかえってこの写真を幻想的なものに仕上げています。教え子の写真撮影のセンスの良さがうかがえます。画像処理は、ほとんど行っていないそうです。シャドー部を少し持ち上げた程度だそうです。また来月、再度この場所に撮影に行くつもりです。
天体写真撮影(伊豆半島最南端 3月13日から14日)
3月14日(水)
 3月13日(火)の夜から14日(水)の午前中にかけて、伊豆半島の最南端まで天体写真の撮影に行ってきました。水平線から上る、夏の天の川の撮影が目的です。新月期である来週に行ったほうが良いのですが、何かと用事が入っているためです。今月は、天体写真撮影に行かない予定でした。教え子からの誘いによるものです。今回は3名で行くことになりました。もうひとり、誘いたい人がいたのですが、近日中に大切な予定があるので、大事をとって声をかけませんでした。このブログを見てくれていると思いますが、そういう意味です。

 横浜から伊豆の最南端までは、かなりの距離です。だいぶ前に、何度か走っている道なので、土地勘はあります。かなりの時間がかかることを覚悟していましたが、遅めの出発だっため、車の流れはスムーズでした。予想より早く現地に到着しました。天気予報では、日付が変わる頃に雲が出ますが、それ以降は晴れてくるはずでした。実際には、晴れ間が広がるのが少し遅かったようです。撮影に使える時間は1時間ほどしかありませんでした。

 今回は、広角レンズしか使用しないために、ポータブル赤道儀をもっていきました。といっても、それなりの大きさです。カメラ2台を同時に搭載できます。
この赤道儀は、昨年の8月21日(月)に、アメリカで見られた皆既日食に持って行ったものです。撮影時間に限りがあるため、急いで機材を組み立て、撮影を開始しましたがトラブルが発生してしまいました。星の追尾がうまくできませんでした。駆動用のモーターは音がしていますので、回転しているようでした。しかし、そこから先にトルクが伝わりません。電圧が低下しているのかとも考えました。いろいろ調べてみましたが、解決しないために、撮影はあきらめました。

 伊豆半島最南端で見る星空は、南側がかなりのクオリティーのようでした。今回は湿度が高く、霧も発生していましたので、本来の星空のクオリティーがどの程度ものなのか、判断ができませんでした。しかし、明け方近くなって霧がなくなってきたときの星空は、かなりのものでした。撮影に充分耐える星空だと思いました。ただ、風が強いのが難点です。

 明け方近くに、細い月が昇ってきたところで現場を後にしました。途中、熱海で朝食をとり、そのまま横浜まで戻ってきました。車が潮風にさらされたため、戻るとすぐに洗車を始めました。ちなみに、これまでの1BOXカーは、洗車したことが一度もありませんでした。今回の車はセダンです。今までよりは丁寧に取り扱いたいと思っています。睡眠時間は、わずかに10分程度でしたので、洗車が終わると、爆睡してしまいました。

 トラブルを起こした、駆動用のモーターですが、電源のほうは問題ありませんでした。モーターをばらした状態で、状況を見てみると、正常に回転していました。途中のギアなどの各部をチェックし、再度組みなおすと、今度は正常に動き出しました。どこかの部分で、動きが渋くなっていたようです。アメリカに持って行ったとき、赤道儀のクランプが折れてしまいました。機材の運搬時に、相当な力が加わったのでしょう。それと今回のトラブルは、関係があるのかもしれません。原因が特定できないので、次回は、予備のモーターとコントローラーも持っていくことにしています。いろいろありましたが、行ってよかったと思っています。教え子が、トラブルと格闘している、私共の写真を撮影してくれたようでしたので、後日、アップできるようであれば、アップします。5月までの間に、天の川を撮影できればと思っています。
手書きイラスト12作目(平等院鳳凰堂の春)
3月10日(土)
 前回の11作目が完成したのは、昨年の10月20日(金)でした。すぐにこの作品に取りかかりましたが、完成までにはだいぶ時間がかかってしまいました。複雑な部分が多かったこともありますが、その間にもいろいろなことがあったため、中断している時間も長かったように思います。移動式プラネタリウムの出張投影の仕事を終了してからは、時間が確保できるようになったため、今後の作品は、完成までの時間が、これまでよりは早くなるのではないかと思っています。

 平等院鳳凰堂を訪れたのは、2016年4月5日(火)でした。東寺、醍醐寺を見たのち、平等院鳳凰堂に行きました。撮影をしたあと、丸山公園の祇園枝垂桜を見て帰路につきました。最近の京都の春は、すさまじいほどの賑わいです。平日であるにもかかわらず、まるで花火大会かと思うほどの人出です。写真撮影をしていても落ち着かないので、今後は、春や秋の京都を避けるようにしたいと思っています。

 水面に写りこむ平等院鳳凰堂を、手前の桜を前景にして描いてみたいと思っていました。桜の描写は、まずまずでしたが、いくつか気に入らない部分もあるため、自己評価は83点ほどです。何枚描いても満足することはないのでしょう。それでも、再び描きたいという意欲は衰えないので、今後も取り組みを継続するつもりです。どのようなイラストを描けばよいのか、迷いながら、そして試行錯誤しながら描く日々が続いています。

天文計算プログラム集
3月5日(月)
 今日も午前中は、書類の廃棄作業を行っています。書類の中から、天文計算プログラム集が出てきました。宮崎市のプラネタリウムに勤務している頃に取り組んでいたものです。プラネタリウムの修行の意味で、宮崎市のプラネタリウムで働いていました。親戚や身寄りはありませんでした。業界の先輩だけが頼りでした。

 昼間はプラネタリウムの仕事をし、夜、アパートに戻ると、深夜まで、レタリングの勉強と同時進行で、天文計算の勉強に取り組んでいました。その時に習得したレタリングの技術は、現在の手書きイラストによる風景画の制作につながっています。

 天文計算のほうですが、当時はまだ、パーソナルコンピュータが世に出てくる少し前の頃です。関数電卓は、すでに利用できましたので、関数電卓を使用して、小数点10桁近い数値と、毎晩のように格闘していました。

 のちにプログラム電卓が発売されました。当時の価格で約10万円です。幅1センチ、長さ10センチ程度の磁気カードにプログラムを記憶させて、必要な時に、そのカードからプログラムを呼び込んで使用するものです。

 そのプログラム電卓は、10桁の小数点を10進演算で処理します。ちなみにパソコンは、10進数を2進数に変換して、内部計算が行われます。10進演算の場合、演算の過程で誤差は生じませんが、2進演算の場合は、誤差が付きまといます。

 たとえば、1/10000を10000回加算すると、答えは1ですが、パソコンの場合は、1.000006などとなります。この最後の桁がくせものです。条件判断などで、1になったときは、どのルーチンへ、1より小さい場合は、どのルーチンへと分岐させる場合があるのですが、その時に、この誤差を配慮しないと、意図していないルーチンに飛んでいくことになり、正しい結果が得られないことがあります。パソコンが世の中に登場した当時は、上記の計算をプログラムに組み、答えにどのくらいの誤差が生じるのか、また、どのくらいの時間で、この計算を処理するのかがとても大切でした。現代のパソコンは、当時に比べると、処理速度が雲泥の差です。処理速度を意識する必要があるのは、3DCGの制作を行う場合などです。天文計算の場合は、よほど複雑な処理をしない限り、大丈夫でしょう。

 前述の磁気カードに記録させたプログラムは、かなりの数になりました。すでに計算機と磁気カードは処分してしまいましたが、プログラム集は保存していました。当時、ワープロがまだ世に存在しませんでしたので、全て手書きのドキュメントです。

 右上の写真は、流星の軌道決定のプログラムのドキュメントです。右ページがドキュメントで、左ページの黒いシミが生じているのが、出力したプログラムです。ちなみに、流星の軌道決定とは、2点の観測地から同時観測で得た流星が、地球の大気圏に到達する以前に、太陽系をどのような軌道で回っていたかを決定するための計算です。

 左の写真は、彗星の軌道計算のプログラムの一部です。太陽のまわりをまわる彗星が、どのような軌道で運動しているか、地球からの観測(少なくても、3回の観測データが必要です)から、彗星の軌道要素を導き出すものです。

 当時、このような複雑な計算に取り組むことは、私共にとっては、プラネタリウム解説者のスキルとして必要だと考えていました。今でもその考え方は変わりません。ただ、このような複雑な計算は、今、すっかり忘れてしまいました。では、それに取り組んだ時間は、無駄だったのかというと、そうではありません。

 常設プラネタリウム館のプラネタリウム投影機には、座標系の目盛が存在します。これらの目盛は、コンピュータ制御される現代の投影機では、投影中に観客の目に触れることは、めったにないことです。

 ただし、メンテナンスや、投影機のセッティングが正しく行われているかなどを確認するときには、座標系の目盛のお世話になります。それらの座標系が、天文学的に、どのような意味を持つのか、深く理解できたのは、これらの天文計算に取り組んだ成果だと思っています。

 今から35年以上も前の取り組みですが、保存しておいても、今となっては何の役にも立たないため、廃棄することにしました。


パンフレット
3月2日(金)
 昨日の横浜は、夕方から風が強くなりました。花粉が大量に飛散する中を散歩をしていたので、かなり吸い込んでしまったようです。夕食を食べた直後から眠気に襲われ、そのまま朝まで爆睡してしまいました。

 花粉症のほうは、点鼻薬と、花粉ブロックのスプレー、そしてマスクを常用することにより、例年よりも多少緩和されています。ただ、つらい季節であることには変りがありません。桜の咲く時期までの辛抱です。

 今日も午前中は、断捨離の作業を継続中です。処分しても処分しても、なかなか終わりません。今日は、保存していたポスターや、パンフレット類を整理しました。それらの中から、傾斜型プラネタリウムの1号機の写真が出てきました。GSS-1という投影機です。スクリーン上に投影されているのは、オムニマックス(現在の呼び方は、アイマックス・ドーム)の映像です。まだデジタルカメラが登場する前の写真ですので、印刷の段階で合成されたものと思われます。

 この投影機は、のちにスーパー・ヘリオスという、第2世代の機械に更新されました。ただ、個人的には、私共は、この投影機のほうが好みでした。傾斜型プラネタリウムの発祥は、アメリカです。当時、サンディエゴのスペース・シアターに設置されていました。ただし、実際には稼働していないという噂でした。私共が、同施設を見学した時にも、投影機は稼働していませんでした。スピッツ社製の投影機でしたが、何か問題があったのでしょう。ミネソタ州立科学館で、見学した時も、状況は同じでした。

 GSS-1は、モリソン型投影機の惑星棚を取り外して、投影機手前のひな壇のような場所に、惑星投影機を並べたものです。コンピュータ制御され、惑星の軌道が計算され、恒星投影機とともに瞬時にその位置が再現されます。ドームスクリーンの下に星々を投影しないように、シャッターも傾斜型スクリーンに沿って制御されました。

 ツアイスの投影機が有名ですが、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館で見た、ツアイスⅥ型の投影機の星空と比較しても、色温度も含めて、このGSS-1は遜色のない星空でした。1号機であったため、トラブルも多かったのですが、投影機としての重厚感があり、気に入っていました。星の数は、38000個です。今のように星数は多くありませんでしたが、星空は、とても美しいものでした。

 国産初の、傾斜型に対応する大型の投影機でしたので、海外からも大変注目されました。当時、スピッツ社の社長、ツアイス社のプラネタリウム開発の責任者である技術部長までもが、この投影機を見学に来ていました。

 右のカタログは、高橋製作所の天体望遠鏡のカタログです。カタログには、発行された年代が記載されていませんが、表紙の写真などから推測すると、1975年あたりのものでしょう。写真の望遠鏡は、TS65m/m屈折望遠鏡P型という名称です。短焦点屈折望遠鏡のさきがけです。ニコンや、五藤光学の望遠鏡とともに、あこがれの望遠鏡でした。このカタログは廃棄しないで、同メーカーに勤務している、知人(というより、教え子)にプレゼントしようかと考えています。

 処分を始めると、懐かしいものがたくさん出てきてしまい、どうしても手が止まってしまいます。当分の間、このようなパターンの繰り返しになるでしょう。珍しいものがでてきたら、また紹介する予定です。


  過去の星雑記
  平成30(2018)年1月から2月
  平成29(2017)年11月から12月
  平成29(2017)年7月から11月