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2017年の総括
12月28日(木)
 比較的穏やかな1年でした。ただ、兄弟や親せきが皆、高齢化していますので、心配事がないわけではありません。この先何があるかわかりませんので、気を抜かずに日々を送っていきたいと考えています。

 車の方は、走行キロ数が17万キロオーバーです。1年間に3万キロ近く走りますので、仕方のないところです。細かなトラブルはいくつかありましたが、よく走ってくれました。あと数か月間で廃車を予定しています。特に悪いところもないので、もったいないようにも思いますが、走行中にトラブルが発生すると事故に結びつく可能性があるので、このあたりが限界だろうと判断しています。

 岐阜県関市、まなびセンターのコスモホールの12メートルドームにメガスターゼロ投影機を仮設して、月に1度のペースで投影をさせていただいています。6年目に入っています。観客数は増えもせず、減りもせずといったところでしょうか。「星空のコンサート」が定例化してきました。演奏者の皆さまとのコラボは、解説者としては神経を使いますが、とても刺激的です。

 横浜市立大学の非常勤講師の仕事も、6年目に入りました。学生の皆さまを対象とした授業や、市民向けの講座は、私共にとって、とても勉強になっています。来年1月26日(金)に、一般の方を対象に、公開講座である「エクステンション講座」を開催させていただきます。トップページでの告知のとおりです。現在は、その配布資料の最終チェックを行っているところです。

 2012年10月下旬に導入したHα太陽望遠鏡は、空が晴れていて外出する用事がない限り、毎日使用しています。すでに5年が経過しました。太陽を観測することは、仕事を引退してからの、老後に向けての取り組みのひとつです。太陽活動が比較的低調だったため、撮影した頻度は、かなり少なくなってしまいました。

 移動式プラネタリウムの出張投影は、下で総括したとおりです。

横浜市、関市、西尾市、逗子市、町田市、東京都千代田区、港区、御殿場市、横須賀市、小田原市、稲敷市、藤沢市、海老名市、留萌市、大阪市、神奈川県愛甲郡、犬山市、武蔵野市

などで投影をさせていただきました。移動式プラネタリウムの出張投影の仕事は、これでおしまいです。

 手書きイラストは12作目の制作に入っています。年が明けたら、すぐに制作を再開するつもりです。今年は3作しか完成させることができませんでした。白川郷の撮影にも引き続き取り組みましたが、今年は1回だけで、これまでの合計で11回ほど撮影を行いました。来年もまた行くことを予定しています。天体写真の取り組みは、今年は5回ほど撮影に行くことができました。ただ夏の間は、天気が悪く、予定してた撮影をすべて消化することはできませんでした。

 今年の出来事の中で、最も強烈な印象に残っているのは、8月21日(月)に、アメリカのアイダホ州ドリッグスで見た皆既日食です。またとない快晴の空で見た太陽コロナの美しい姿は、今でも目に焼きついています。次の皆既日食を見て、太陽コロナの記憶が上書きされるまでは、思い出として残っていることでしょう。次の皆既日食は2019年7月2日(火)です。健康でいることができれば、南米まで撮影に行ってくることになるでしょう。

 日課となってきた卓球の練習ですが、再開してからすでに1年以上が経過しました。中学・高校の現役時代の感覚がすっかり戻りました。贅肉も取れ、体の切れもよくなりました。現在は、高校時代にもマスターできなかった、新しいテクニックの習得に挑戦している最中です。今年は、地域の卓球サークルへ入会することになりました。成り行きでそのようになったものです。最初のうちは、メンバーとして参加していたのですが、しばらくすると、指導者の指導をサポートしてもらいたいということになり、現在は、メンバーの皆さんの指導のお手伝いをさせていただいています。指導者と、本格的に練習する時間を取っていただいているので、レベルアップするには、助かっています。来年も継続する予定です。

 この1年間、私共のホームページをご覧いただき、ありがとうございました。皆さま、どうぞおからだご自愛のうえ、素敵な年末・年始をお過ごしください。この「星雑記」の次の更新は、1月3日以降を予定していますが、できる限り早めに活動を開始するつもりですので、それ以前に更新するかも知れません。
移動式プラネタリウムの出張投影 9年半の総括
12月27日(水)
 今から9年半ほど前の2008年6月に、このホームページを立ち上げ、移動式プラネタリウムの出張投影の仕事を開始しました。最初のうちは、オファーが全くなく悩む日々が続きました。しかし、その年の夏から、ぽつぽつと仕事が入り始めました。以来今日まで、毎年のようにオファーをくださる、施設や学校が徐々に増えていきました。ここまでやってこれたのは、その方たちのおかげだと思っています。

 2008年の3月いっぱいで、それまでのサラリーマン生活に見切りをつけ、早期定年退職をしてこの仕事に取り組みました。独立するときには、周囲の全員に反対されました。人と異なる道を歩むことは、常識的には反対されて当然なのでしょう。しかし私共は、常に、自分にしかできないことを模索してきました。全員に反対されても、この仕事に取り組む覚悟が最初からできていました。万一失敗した場合でも、年金が支給されるまで生活をつないでいく手段を、その時点で考えていました。失敗しても何とかなる・・・。ということではなく、失敗したら、別の道を行くということです。

 唯一、取り組みに反対をしない人物がいました。それは、妻です。何も言わずにここまでついてきてくれました。とても感謝しています。このブログの中で、妻の話題に触れたことはありませんでしたが、仕事をする傍らで、常に妻がサポートしてくれました。このブログで、パートナーと表現してきたのは、ほとんどが妻のことです。今年の夏から秋にかけてのみ、ある青年に仕事を手伝ってもらいました。様々な状況を配慮してのことです。てきぱきとした仕事ぶりに、とても感心した次第です。将来をとても楽しみにしています。今後もその青年の力になりたいと思っています。

 妻と二人三脚で、全国を行脚しました。全国制覇は実現しませんでしたが、それでも、北は北海道から、南は九州の宮崎まで、たくさんの場所で、投影をさせていただけたことは、貴重な経験となりました。全て車で移動しました。走行距離は、22万キロほどです。地球5周半に相当する距離です。おかげさまで、全国の主要道路を覚えてしまいました。車のほうも、よく走ってくれたと思います。パンクを2回経験しましたが、それを除けば、事故もなく、よくここまでこれたなと思っています。大雪の青森県弘前市での投影、新潟県村上市での投影のときなどは、雪国でなければ体験できないようなドライブを余儀なくされました。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、私共の仕事のとどめを刺すものかもしれないと思い、覚悟をしました。その直後から、商業施設でのイベントなどが自粛されたためです。しかし、約3か月が経過した頃、それでは地域の活性化につながらないという意見が出てきました。それでも震災を配慮して、にぎやかなイベントは避けられる傾向にありました。一方で、私共の取り組みは、ある面で、観客の皆さまに、癒しを与えるものです。皮肉なことに、それ以降、私共にオファーが殺到しました。被災地である福島でも、何度か投影をさせていただきました。「・・・素敵な時間をありがとうございました」。福島で投影をした時のことです。その中年の女性の、ドームから出ていかれるときのコメントは、今でも忘れることができません。2016年4月に発生した熊本大地震の時にも、その約4か月後には、被害のひどかった熊本県上益城郡の商業施設で投影を行っています。お役に立てたとは思っていませんが、一瞬でも、被災者の皆さまの心が穏やかになればと思いながら、投影をさせていただきました。

 最初の頃は、小学校高学年のこどもたちや、保護者の皆さまが観客層の中心でしたが、年を追うごとに低年齢化が進んでいきました。最近では、ほとんどが乳幼児と、その保護者の皆さまです。乳幼児は、私共の投影を見ても、おそらく何も理解していないでしょう。それでも、子育てに忙しい、保護者の皆さまもプラネタリウムを見たいのだろうと考え、内容を工夫しながら対応しました。

 最近では、出張投影があるときには、朝起きるのが大変つらく感じるようになりました。体力の限界に達しているのではないかと思うようになりました。一方で、まだまだできるという思いの中で、揺れ動いていました。しかし、オファーを受けている段階で、何かあったら大変です。元気でいられる今こそ、出張投影に終止符を打つタイミングだろうと判断しました。12月10日(日)のNTT技術資料館での投影を最後に出張投影の仕事を終了しました。

 岐阜県関市にある、まなびセンターでの投影は、今後も継続するつもりです。ただし、公共施設ですので、予算が認可されればという条件付きです。そこで使用するハードウエアを残して、全てのハードウエアを処分しました。オファーを受けたとしても、投影ができない状態です。これでよいと思っています。

 関市まなびセンターでの投影も含めた投影実績は、下記のとおりです。
出張投影を行った場所 436か所 投影日数 659日 投影回数 3,608回 観客数107,049人

 あれだけ各地に行った割には、思ったほどの数字ではなかったなというのが、数字を出してみたときの率直な感想でした。9年半の間、実にいろいろなことを体験しました。観光では行くことがないような場所で、妻と二人、大変な思いをしながらも、地域の方々に星空をご覧いただき、「楽しかった」とコメントをいただくことが、いつしか、私共の生きがいになっていたように思います。

私共が座右の銘にしている、福澤諭吉の心訓(実際には作者不明とされているようです)の最初に出てくる文言です。

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。

 プラネタリウム解説者としての、私共の仕事は、まだ完結していません。これからも、健康に気を付けながら、そして、旅の草鞋を脱ぐタイミングを見計らいながら、できるところまで継続していきたいと思っています。

 これまで、たくさんのオファーをくださった施設の関係者の皆さま、イベント制作会社の皆さま、PTAの皆さま、学校関係者の皆さまに、心からお礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
仮設プラネタリウム(関市まなびセンター 岐阜県関市 12月24日)
12月25日(月)
 岐阜県関市にある、まなびセンターの直径12メートルドームにメガスターゼロ投影機を仮設して、クリスマスの前日である、12月24日(日)にプラネタリウムの投影を行いました。今回は、「星空のコンサート」というイベントがありましたので、投影時間が少し変則的でした。

 10時の回は通常の投影です。秋から冬の星座を投影し、後半部分のテーマ解説では、「冬の星座」と題して、オリオン座の星座神話や、冬の夜空にみられる代表的な天体について解説しました。秋の星座もまだ残っているので、そちらについてもペガスス座の星座神話を交えて解説しています。

 「星空のコンサート」のほうは、〜癒しの音色に魅せられて〜というサブタイトルが付いています。ヘルマンハープ演奏グループによる演奏とのコラボでした。元教師の4人組のユニットです。ふだんは、病院、学校、介護施設、各種講座等で演奏活動を行っているそうです。演奏もさることながら、さすがに皆さま、元教師です。演奏と演奏の間の話が、とてもレベルの高いものでした。午後に2公演を行いました。

 12月23日(土)の午前中に横浜を出発しました。新湘南バイパスから、圏央道を経由して、海老名ジャンクションから、東名高速に入ろうとすると、事故渋滞のため厚木・大井松田間で11キロ約2時間の表示が出ていました。東名には入らずに、小田原厚木道路に入り、そのまま一般道に出て、大井松田インターチェンジで東名に入りました。しかし、こちらも渋滞が激しく、結局、東名に入る前に、2時間ほどを費やしてしまいました。事故を起こした当事者が一番大変ですが、それに影響をける車の数はかなりのものでしょう。クリスマス間近の土曜日だったため、それでなくても道路は車であふれかえっていました。

 投影が終わってからの帰りは、スムーズでした。クリスマスイブに東名を走っている車は、かなり少なめでした。私共は、仕事で走っていますが、どのみちこの年になると、クリスマスも正月も、あまり関係がありません。と言いながらも、眠気覚ましに、クリスマスにちなんだ曲をかけながらのドライブでした。これが、今年最後の仕事になりましたが、まだ後始末の仕事が残っているため、のんびりしている時間がありません。
カノープス
12月20日(水)
 先日の天体写真撮影の折に、久しぶりにカノープスを見ました。前回見たのは、昨年の3月9日(水)前後のことです。皆既日食撮影のため、グァム島沖に移動するクルーズ客船、ぱしふぃっくびーなすのデッキからでした。

 カノープスは、りゅうこつ座の1等星です。おおいぬ座の1等星シリウスに次いで明るい星ですが、日本国内では、南の地平線に近いため、地平線の開けた場所でないとみることが困難です。

 星名は、トロイア戦争時のスパルタ王メネラーオスの船の、水先案内人の名に由来すると言われています。りゅうこつ座は、本来はアルゴ座と呼ばれていた星座の一部です。大きすぎたため、1922年の国際天文連合総会において、とも座、ほ座、りゅうこつ座の3つに分けられました。アルゴ座は、アルゴ船座と呼ばれることもあり、ギリシャ神話に登場する船の名にちなんだものです。

 カノープスが南中するのは、2月1日の21時過ぎです。この前後の時期が見頃となるでしょう。東京での南中時の高さは約2度、鹿児島で約6度です。私共は若い頃、プラネタリウムの修行で宮崎に住んでいました。楽に見えたはずですが、それほど何度も見た記憶がありません。むしろ、海外で見ることのほうが多かったように思います。

 中国では南極老人星と呼ばれています。本来は明るい星ですが、地平線近くであるため、大気により減光され、しかも赤みがかかります。縁起の良い星とされてきました。一方、国内ではさまざまです。有名なのは、房総半島南端の漁村「布良(めら)」などでの言い伝えです。布良星(カノープス)が見えると海が荒れる。不吉の前兆ととらえられていたのでしょう。

 撮影ポイントは、富士山の西麓です。山の中腹から、南の地平線を見下ろすことができるので、カノープスは、林の上に輝いていました。このポイントに天体写真の撮影に行くことで、見るチャンスが増えることは、とてもうれしいことです。



写真のデータ
カノープス
2017年12月19日0時41分
EOS1Ds MarkV EF35mm f1/4L USM F4 24sec ISO1600
周辺部をトリミング
撮影地 富士山西麓

画面上の輝星は、おおいぬ座の1等星シリウスです。
天体写真撮影(富士山西麓 12月18日から19日)
12月20日(水)
 約1か月ぶりに、12月18日(月)の夜から19日(火)の朝にかけて、天体写真撮影に行ってきました。場所は富士山の西麓です。星空の条件としては、伊豆のほうが良いのですが、冬場は風が強く機材があおられて長焦点での撮影ができなくなってしまうために、富士山西麓にしたものです。天気予報では、夜8時から9時頃にかけて雲が通過する見込みでしたが、それ以外の時刻は晴れの予報でした。

 午後に横浜を出発しましたが、途中の道が渋滞していたため、現場への到着まで3時間30分ほどかかってしまいました。機材を車に積み込み、長い時間をかけて現場に行きます。こんなにまでしてなんで行くのだろうかと、いつも自問自答しています。ただそれも、現場に到着して、星空を眺めると、そのような疑問は吹き飛んでしまいます。いつもそうです。

 機材のセッティングが終わる頃には、薄雲がところどころに広がっていました。その間に車の中で夕食を食べ、撮影開始です。風もなく穏やかでしたが、気温はどんどん下がり、午前2時頃には、氷点下6度に達していました。防寒対策をしっかりしているので、寒くはありません。これだけの寒さで、機材のトラブルもなくよく動いてくれるものだなと思っていた矢先でした。パソコンがダウンしてしまいました。後で調べたところ、バッテリー切れでした。もちろん、事前にチェックはしていました。おそらく気温の低下でバッテリーのパフォーマンスが落ちたのが原因でしょう。再起動をかけると温度警告のマークが出て、再起動できなくなりました。車内で温めれば回復したはずですが、あきらめて、広角レンズでの撮影に切り替えました。長焦点での撮影は、星の追尾にパソコンなくしては機能しませんが、広角であれば、赤道儀のモータードライブ装置だけで大丈夫だからです。一晩中よく晴れていました。

 パソコンのトラブルのため、予定していた撮影を消化できませんでしたが、仕方がありません。ここから先は来年に持ち越しです。午前4時過ぎには現場を後にしました。高速道路に入る前に、一般道を少し走ります。帰りは下り坂です。動物の飛び出しに注意するため、スピードは控えめです。対向車とすれ違った直後でした。ヘッドライトの先に、キツネか小鹿らしき小動物が飛び込んできました。急ブレーキをかけても間に合いそうもなかったので、対向車線に急ハンドルを切り、衝突を回避しました。対向車線に車がいなかったのが幸いでした。冷や汗が出ました。

 昨日から今日にかけて画像処理をした写真3点をアップします。広角レンズでの撮影は、この場所の星空のクオリティーでは、撮影を見合わせますが、画像処理に苦労するのを覚悟で撮影してみました。何とか処理しましたが、今後、この場所での広角レンズでの撮影には、別のアプローチでの撮影に取り組む考えです。M45(プレアデス星団)の撮影は、下の11月23日(木)のところで記述したとおり、この光学系では、もう撮影しないつもりでいましたが、今回も追加で撮影しました。

冬の大三角付近 2017年12月19日1時57分から2時33分 EOS5D MarkU(赤外カットフィルター除去)180sec×10frameコンポジット 総露出時間30分 ダーク補正
EF35mm f1.4L USM F4 ISO1600 周辺部を多少トリミング
撮影地 富士山西麓

M42(オリオン星雲) 
2017年11月21日2時58分から04時04分 および12月18日23時14分から12月19日1時16分
BORG125ED F4 500mm EOS5D MarkU(赤外カットフィルター除去) ISO1600 ダーク補正・フラット補正 周辺部を多少トリミング
15sec×4framae 30sec×5frame 60sec×4frame 180sec×32frame コンポジット 総露出時間1時間43分30秒 
撮影地 富士山西麓


M45(プレアデス星団 すばる) 
2017年1月2日から3日・11月21日・12月18日 21時26分から00時50分(1月2日から3日) 1時04分から2時08分(2017年11月21日) 21時17分から22時48分(12月18日)
BORG125ED F4 500mm EOS5D MarkU(赤外カットフィルター除去) ISO1600 ダーク補正・フラット補正 周辺部を多少トリミング
60sec×6frame 180sec×27frame 180sec×32frame コンポジット 総露出時間2時間58分 
撮影地 伊豆(2017年1月2日) 富士山西麓(2017年11月21日・12月18日)
似顔絵
12月17日(日)






















 横浜市立谷本小学校で、11月11日(土)に移動式プラネタリウムの投影をさせていただきました。9年連続で10回ほど投影をさせていただきましたが、先日の投影で最後でした。昨日、当日のイベントを主催された、谷本小学校のPTA役員の方から、ご覧いただいた皆様のアンケートが送付されてきました。

 全てのアンケートが、はがきサイズのクリアーファイルに入れてありました。毎年、お送りいただいているものです。児童、保護者の皆さまの、率直なアンケートに励まされてここまで実績を重ねることができたように思います。

 アンケートに記述されたコメントを見ると、児童にも保護者の皆さまにも、私共が投影を通してアピールしたいことが、きちんと伝わっているように思います。プラネタリウム解説者として、これほどうれしいことはありません。アンケートとともに、私共の似顔絵が何枚か描かれていました。保護者と児童、それぞれが描いたもののようでした。同じ家族のものではないようですが、不思議なことに、どちらも私共の特徴をとらえているように思いました。人様には、私共は、このようにみられているということなのでしょうね。

 このようなアンケートを頂戴すると、もう少しやっていてもよかったのかな・・・。などと思ったりしています。移動式プラネタリウムの仕事をしなくなった分、時間が自由に使えるようになったので、手書きイラストの制作に費やす時間が増えてきました。最近の横浜は、気温は低いのですが、風もなく穏やかな晴天が続いています。このような穏やかな毎日の中で、イラストに集中できることは、ありがたいことだと思っています。新月期ですので、そろそろ天体写真撮影に行くことを考えています。 
移動式プラネタリウム ファイナル(NTT技術資料館 NTT武蔵野研究開発センター内 東京都武蔵野市 12月10日)
12月11日(月)
 東京都武蔵野市のNTT武蔵野研究開発センターの敷地内にある、NTT技術資料館において、12月10日(日)に移動式プラネタリウムの投影を行いました。昨年の12月16日(金)の夜に投影をさせていただいて以来、1年ぶり2度目の投影です。そしてこの投影が、私共の移動式プラネタリウムの出張投影の最後となりました。同館は、NTTの歴史や技術に関する資料が展示されています。毎週木曜日と金曜日の午後に一般公開されています。今回はイベントのため、日曜日に開館になったのではないかと推測していますが、詳しいことはよくわかりません。

 2階のイベントスペースに5メートルドームを設営し、5回ほど投影をさせていただきました。秋から冬の星座を中心に、ペガスス座の星座神話を交えて解説しました。全ての回が満席です。2回目以降はキャンセル待ちが出るほどでした。5メートルドームは、見た目が小さく、中には、それを見てがっかりしたお客様もいらっしゃったようでした。しかし、投影をご覧いただいたのち、ドームから出ていかれるときには、にこやかな笑顔をされており、満足した様子でした。おそらく、ドームの大きさからみて、貧弱な内容だろう思ったのではないでしょうか。5メートルドームに投影するメガスターゼロの星空は、針で突いたように微光星がシャープで見事な星空となります。ただ、シャープすぎて、実際の星空に比較すると多少の違和感がありますが、これはこれで解説者としては満足できる星空です。観客の皆さまが、この星空を見て驚かないはずがありません。毎回、「ウォー!」という歓声が上がっていました。

 2008年6月にホームページを立ち上げ、移動式プラネタリウムの出張投影の仕事を開始しました。以来約9年半、この仕事に取り組んできました。当初の目標は、10年目で終了することでした。それには少し早かったのですが、様々な状況を配慮して、この12月で終了することとしました。最後の投影でしたが、感慨にふけっている余裕はありませんでした。今回も、乳幼児を連れたファミリー層がほとんどでした。毎回神経を使いながらの投影となりました。最後の最後まで、神経をすり減らしながらの投影となってしまいました。もうこれで充分だろうと思った次第です。・・・少し疲れました。

 この9年半の取り組みの総括は、年末のところで行いたいと思っています。今日からは、次のステップに進むために、動き出しています。移動式プラネタリウムの仕事は終了しましたが、関市まなびセンターでの投影は、継続する予定でいます。ただし、私共がそう思っていたとしても、公共施設の場合は、予算が認可されることが前提です。施設が投影を継続されない場合は、そこで終了となります。そうなった場合、プラネタリウム解説者として、その後どうするかは、まだ白紙の状態です。

 まなびセンターのようなドームに、投影機を仮設しての投影や、常設館であれば、まだまだ現役解説者として、解説ができる状態にあります。全ての投影が終わりましたが、昨日までと何ら変わらない日常が今日も続いています。
プラネタリウムは星空を映す映画館か
12月8日(金)
 移動式プラネタリウムの出張投影を、まもなく終了するにあたって、ある若い方からメールをいただきました。その方のことはよく知っています。私共のこれまでの取り組みに対する、ねぎらいのメールでした。ただ、その中で少し気になったことがあったので、紹介します。考えてしまいました。

 その方は、私共の移動式プラネタリウムの投影を見るまで、「プラネタリウムは星空を映しだす映画館」のような感覚で投影をご覧になっていたとのことでした。昔は、プラネタリウムのハードウエアの制約が多かったため、星空を投影すること、星座絵投影機で星空に合わせて星座を投影すること、スライドプロジェクターを使用してスライドを映し、天文学的な解説を加えること。これらが基本でした。ハードウエアの進歩にともない、デジタル映像が導入された結果、これらの制約がなくなり、ドーム内での映像表現が自由にできるようになりました。(ただし、制作するには大変な苦労をともないます)。

 プラネタリウムを、「星空を映しだす映画館のようなもの」ととらえる感覚は、このような背景が原因になっているのではないかと思っています。一方で、移動式プラネタリウムのそれは、光学式投影機を使用している限り、昔の投影方式と同じです。違いは、スライドプロジェクターがビデオプロジェクターにおきかわり、静止画以外に動画も投影できるようになったことくらいです。

 私共のプラネタリウムの投影は、動画を比較的多く使用する以外は、昔ながらの投影です。そして、そのスタイルを変えるつもりもありません。各回、観客の皆さまの顔ぶれを判断し、話の内容を微妙に変えています。その方によれば、そのライブ感がとても好きで、プラネタリウムの星空に魅力を感じるようになった。とのことでした。私共にとっては、とてもうれしいコメントでした。

 投影をご覧いただいた観客の皆さまが、どのような印象をもってドームから出ていかれるのか、それは、観客の皆さまの自由ですが、少なくとも、私共が投影を通してアピールしたいことは、多くの観客の皆さまに伝わっていると思っています。これまでいただいた、たくさんのアンケート結果や、コメントがそれを裏付けています。だからといって、それに満足することなく、さらなる高みを目指すのが、私共の、現在の目標でもあります。

 プラネタリウムにおけるデジタル映像が当たり前になった現在、このコメントは、プラネタリウムの投影が、どうあるべきかを教えてくれる重要なものだと思っています。私共は、すでに第一線を離れている立場ですが、常設プラネタリウム館で仕事に携わっている皆さまには、ひとつの問題提起としてとらえていただけると、ありがたく思います。誤解のないように申し上げますが、プラネタリウムが映画館であったとしても、それが誤りだと言っているわけではありません。
映画の出張上映
12月6日(水)
 名古屋市内に、映画の出張上映やイベントを中心にビジネスを展開している会社があります。私共が移動式プラネタリウムの出張投影の仕事を立ち上げた当初、私共の仕事に興味をもってくださった、同社の社長とスタッフが、投影をしている現場まで見に来てくれたことがありました。投影をご覧いただいたのち、少しお話をしました。その後、同社は私共に対して、東海地方を中心としたイベントに関連する仕事をコーディネートしてくださるようになりました。

 昨日、同社の社長に、私共の移動式プラネタリウムの出張投影事業をまもなく終了する旨、連絡を入れました。不在でしたので、これまでお世話になったことに感謝するメールを入れておきました。すぐに電話をいただきました。驚かれていた様子でした。そして残念だとも・・・。健康な状態でいる、今こそが引き際と考えていることをお伝えしました。電話でこれまでのことを少しお話をしました。

 ともに仕事をする中で、最も大変だったのは、今年1月15日(日)のことです。愛知県西尾市の西尾市立鶴城小学校で、移動式プラネタリウムの投影を行いました。その前日は横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校で、旭区主催事業の投影を行っていました。この事業の投影は夕方でした。撤収が全て終わるのが、夜8時頃です。すなわち、それが終わってから、西尾市まで移動しなくてはいけません。

 予約をお受けするときに、この季節のことを配慮して、「夜の移動になるので、降雪等で道路が通行止めになると、予定した時刻に到着することができない場合がありますが、それでも大丈夫でしょうか・・・」と確認を入れておきました。その条件付きでオファーをお受けしました。

 この予想は的中してしまいました。冬一番の寒波が南下してきていたため、愛知県内でも雪の予報になっていました。サイエンスフロンティア高校での投影を終えて、一度自宅に戻ると、携帯電話が鳴りました。社長からでした。「西尾市周辺は、現在雪で大変なことになっている・・・」。急いで出発することにしました。

 途中の高速道路には、雪がありませんでした。東名高速の三ケ日ジャンクションを過ぎて、静岡県と愛知県の県境にある宇利トンネルを抜けると、路肩がうっすらと雪に覆われていました。しかし、路面には雪はなく、天気も回復傾向のようでした。そのまま、美合パーキングエリアに車を入れ、明け方まで仮眠をすることにしました。空には晴れ間が広がり始めていました。途中、目が覚めるとフロントガラスに水滴がついていましたが、気にすることもなく、再び眠りにつきました。午前5時頃に目が覚めて、再び外を見ると、路面が真っ白でした。照明に照らされた部分に、かなりの雪が舞っていました。あわてて車を動かし、そのまま本線に出ました。路面に積雪していました。約10年近くこの仕事をしていますが、東名高速道路の、路面に積雪した状態を初めてみました。そのまま4キロほど走り、一般道におります。

 一般道も路面が真っ白です。路面で5センチ程度の積雪です。そのまま20キロ近く一般道を走りました。日曜日でしたが、この時間に車を走らせることを余儀なくされるドライバーもいるようでした。ノーマルタイヤのまま、一般道に出てきた車も何台かありました。橋への緩い上り坂の上で、簡単にスリップしていました。巻き込まれないように、車間距離をとりながら、走行します。約束した時間より1時間前に学校に到着です。

 投影のほうは、1日5回ほどでした。体育館にハードウエアを設営しました。冬の星座を中心に、オリオン座の神話を交えて解説しました。5回のうち、3回が満席でした。

 帰りは、天気が回復していました。雪はすっかり解けてしまい、早朝の混乱がウソのようでした。岡崎インターまで走り、そこから東名高速道路に入り、横浜方面を目指しました。

 社長も、この時の投影をよく覚えていたようです。「大変だったけど、一緒に仕事ができてとても楽しかったですね」。これからの、私共の取り組みをお伝えして電話を切りました。

 映画の出張上映は、私共の移動式プラネタリウムの仕事と共通する部分がたくさんあります。お会いするたびに、お互いの近況を報告しあいながら、これまでやってきました。私共よりも、少し年上の女性ですが、その生き方は、私共にとっては、ひとつの道しるべとなっていました。ハードトップの車に乗って、さっそうと現れるその姿には、リーダーとしての風格がありました。

 日本全国に、このように私共の仕事をコーディネートしてくださる会社や、組織がたくさんできたことは、私共にとっては大きな財産となりました。出張投影を終了するにあたって、このようにお世話になった方々と、今後お会いできなくなることが心残りです。
仮設プラネタリウム(関市まなびセンター 岐阜県関市 12月3日)
12月4日(月)
 岐阜県関市にある、まなびセンターの直径12メートルドームに、メガスターゼロ投影機を仮設して、プラネタリウムの投影を行いました。前半部が、当日夜9時の星空の解説、後半部がテーマ解説です。今回のテーマは「ふたご座流星群」です。

 毎年12月中旬にみられる、ふたご座流星群を取り上げ、流星そのものについて、その起源、そして、ふたご座流星群を見るには、どのようにすればよいかなどを解説しました。今年は、流星の極大日の時刻が昼間にあたっていますので、その極大日の、未明か夜が観望のタイミングとなるでしょう。月が明け方近くに上ってくるので、条件としては悪くありません。そのあたりも含めて解説しました。

 当日は、施設全体でイベントが展開されていました。この関係で観客の数がいつもよりも多かったように思います。私共のこのブログをよく見てくださっている、若手の解説者の方が、隣県から投影を見に来られました。関市は、公共交通機関を利用すると、都市部からのアクセスが悪く、大変な時間がかかったようでした。時間をかけて、見に来ていただいたことに感謝した次第です。次の投影が控えていたため、ゆっくり話ができませんでした。申し訳なく思っています。まなびセンターでの投影は、今月はもう1回あります。

 写真は、解説を行う場所から見た光景です。開場直後でしたので、観客の皆さまは、まばらです。
移動式プラネタリウム(犬山市立今井小学校 今井小学校区コミュニティ推進協議会主催 愛知県犬山市 12月2日)
12月4日(月)
 約1年ほど前からオファーをいただいていたものです。犬山市で、この時期に毎年1年ごとに、今回を含めて3回ほど投影をさせていただきました。犬山西小学校(犬山西地区コミュニティ推進協議会主催)、犬山市立東小学校(犬山東小学校区コミュニティ推進協議会主催)、そして今回です。主催者を見ていただければ、わかっていただけると思います。いずれの投影も、口コミで最初の推進協議会から広がったものです。犬山市で毎年連続で、3回も投影をさせていただくことになるとは、思ってもいませんでした。

 岐阜県関市の、いつも利用しているホテルに前日に入りました。当日は早く起きて、犬山市まで車を走らせました。まだ夜明け前でした。小学校近くのコンビニで朝食を買って、時間調整もかねて食べるつもりでいました。しかし、小学校付近は、小高い丘の上にあり、まわりにはコンビニがありませんでした。仕方がないので、学校の正門前に車を駐車し、約束の時間が来るまで待機しました。暖を取るため車のエンジンをかけておきたかったのですが、付近には民家が何件かありました。近所迷惑になるといけないので、エンジンを停止し、毛布を体に巻いて、寒さをしのぎました。

 この時期の体育館での投影は、底冷えがします。覚悟していましたので、カイロを持参しましたが、その必要はありませんでした。体育館の造りがしっかりしていたため、断熱効果が良かったように思います。寒くありませんでした。また、ストーブをたくさん用意していただいたため、何の問題もなく投影ができました。午前中のうちに5回ほど投影をさせていただきました。秋から冬の星座を中心に、こどもたちや、保護者の皆さまに投影をご覧いただきました。ペガスス座の星座神話を交えています。

 観客の皆さまは、移動式プラネタリウムが、もっとシンプルな作りで、星空もたいしたことはないだろうと思われていたようです。中に入って、びっくりされ、さらに星空が出て、その美しさに2度びっくりされていたようでした。解説に関しても、「お上手ですね」というコメントをたくさん頂戴しました。プロの解説者として、このコメントをどのようにとらえるか、いろいろと思うところはあるのですが、素直に受け止め「ありがとうございます」と返すようにしています。

 午後からは、著名人による講演会が、体育館を会場にして実施される予定だったようです。ハードウエアを車に積み、早々に会場をあとにしました。移動式プラネタリウムの出張投影は、残り1件です。次がファイナルです。
タイヤ交換
11月29日(水)
 12月になると愛知県、岐阜県で仕事が入っています。雪が多く降る地域に行くわけではありませんが、万一に備えて、本日朝一番でディーラーに行き、タイヤをスタッドレスタイヤに交換してきました。ワイパーも冬装備に変更です。ノーマルタイヤのほうは、そのまま廃棄処分としました。おそらく3万キロ近く走行しています。私共は、高速道路が中心ですので、まだ山が十分に残っており、使用できる状態でした。この前のノーマルタイヤは8万キロ近く使用しました。常識的な数値ではありませんが、高速道路が主な場合は、タイヤの摩耗具合が緩和されるようです。今回廃棄処分としたのは、理由があります。

 移動式プラネタリウムの出張投影を、12月で終了すると、たくさんのハードウエアを車に積む必要がなくなります。その時点で、車も廃車にする予定であるからです。車の走行距離は、10万キロを大幅に超えて、20万キロに近い数字になっています。細かいトラブルは何度かありましたが、まだ走れそうな感じです。これだけ重い荷物を積みながら、よく走るものだなと感心しています。造り込みがよいのでしょうね。ちなみに、この前の車は、同じ車種のグレードが低いものでしたが、それは、16万5千キロでダメになりました。トランスミッションとサスペンションの両方に不具合が発生してしまいました。その時点で廃車にして、現在の車に乗り換えました。次は、乗用車を予定しています。今後も長距離を走ることが多くなりそうなので、高速走行において、安定して走る丈夫な車を選択するつもりです。

 タイヤ交換を終わって戻ると、日課である、太陽観測を行うために、望遠鏡を太陽に向けました。ケーブルをバッテリーに接続して、コントローラーの電源を入れようとすると、電源が入りませんでした。「あれ・・・」。調べてみたら、バッテリーに接続するケーブルの、コネクターの部分で断線していました。すぐにハンダゴテをとりだし、断線した部分を修理しました。電源を入れなおすと無事に入りました。これが、先日の観望会や、天体写真撮影の場面であったら大変でした。胸をなでおろしたところです。
天体観望会(海軍広場 横浜市瀬谷区 瀬谷区主催 11月26日)
11月27日(月)
 海軍広場(旧上瀬谷通信施設)は、横浜市旭区と瀬谷区にまたがる在日アメリカ海軍基地です。旧日本海軍の基地でしたが、第二次世界大戦後に接収されました。平成27(2015)年6月30日に、施設を含めた土地全体が、日本に返還されました。現在は、その跡地利用の準備が進められているようです。

 その敷地において、瀬谷区主催の「星空観測会」が11月26日(日)に開催されました。横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校の天文部の生徒が、参加者に天体を見てもらうイベントです。参加者は、瀬谷区により募集されました。大変人気があり、抽選となったと聞いています。合計約100名を、2グループに分けて、18時からと19時からの2回の開催です。

 観望会は、天文部の生徒が対応するものでであり、それに顧問の先生が立ち会います。同校にある天文台のドームを使用しての観望会は、これまでに何度も実施されていますが、フィールドに出ての観望会は、経験があまりありません。心配だったので、同校の科学技術顧問の立場で、彼らをバックアップすることにしました。瀬谷区との打ち合わせの段階からです。そして、実施日の9日ほど前に、観望会で対応する生徒たちに対して、このような場所での観望会の開催時には、何をどのように進め、何に注意すればよいかをレクチャーしました。生徒たちが主役のイベントです。当日は、私共はバックアップに回り、すべてのオペレーションを、生徒たちと瀬谷区のスタッフが行いました。

 当日の天候は、雲が多かったものの、月や、対象とする天体が見えていたので、スムーズに実施することができました。生徒たちが、参加者に対して、積極的に説明をしている姿は、とても好感が持てました。そして頼もしく思った次第です。せっかくの休みの日に、フィールドに出向いて、このようなイベントに対応するのは、生徒たちにとっても大変でしょう。

 このようなイベントに対応する意義や、そこで学んでほしいことなどを、事前のレクチャーで、生徒たちに説明しておきました。参加者の皆さまにも、ご満足いただいたようで、安心しました。生徒たちの、きびきびとした対応ぶりに、感心した次第です。将来がとても楽しみです。

 写真は、観望会の準備をしているときのものです。望遠鏡は合計で4台(学校から3台、私共が1台)準備しました。青い色のピラーに載っている白くて太い鏡筒が、私共の望遠鏡です。
移動式プラネタリウム(愛川町立愛川東中学校 神奈川県愛甲郡 上熊坂自治会主催 11月25日)
11月26日(土)
 移動式プラネタリウムの最後から3番目の投影です。だいぶ前からオファーをいただいていたものです。上熊坂自治会の主催のイベントです。消防関係のプログラムと、移動式プラネタリウムの投影がセットになったイベントです。会場は愛川町立愛川東中学校です。圏央道の相模原愛川インターチェンジの近くに位置しています。

 早朝から設営を行いました。9時から投影を開始して、3回の投影です。秋の星座を中心に、ペガスス座の星座神話を交えて解説しました。会場は体育館の一角の、卓球場でした。台が10台近く並んでいたようでした。それらを移動して、ハードウエアを設営しました。卓球の強豪校なでしょうか。卓球台は、だいぶ使い込まれていたように思います。底冷えがしましたので、体にカイロを装着しての投影となりました。

 午前中に撤収作業まで終わってしまったので、途中のファミリーレストランで、パートナーとともにお昼を食べて帰ってきました。最後の投影まで、あと2件です。
天体写真1点(すばる M45 おうし座の散開星団)
11月23日(木)
 冬の星座である、おうし座にある散開星団です。空の比較的明るい場所でも、今頃の宵の東の空に肉眼で見えています。M45は、この星団のカタログナンバーです。1769年にメシエカタログの45番目の天体として加えられました。18世紀のフランスの天文学者シャルル・メシエの手によるカタログです。

 前回この天体を撮影したのは、今年の1月2日から3日の夜にかけてです。伊豆で撮影しました。今回と全く同じ光学系を使用して撮影しています。今回の撮影の目的は、この天体の写真を完成させるためです。機材のセッティングを終了して、この天体に望遠鏡を向ける頃には、すでに南中を越えて西の空に回っていました。天気が安定していたので、予定通りスムーズに撮影できました。この焦点距離でのこの天体の撮影は、これで終わりにしようと思っています。

 今回の撮影では、あと1点撮影しています。しかし、まだ途中経過です。撮影している時間が4時間30分程度と短かったため、予定をこなしきれませんでした。次回に持ち越します。今回アップするのは、この1点のみです。星団の周りに広がる分子雲をもう少し抽出したかったのですが、それは、別の光学系で、来シーズンにでも狙ってみたいと思っています。


M45(プレアデス星団 すばる) 
2017年1月2日から3日および2017年11月21日 21時26分から00時50分(1月2日から3日) 1時04分から2時08分(2017年11月21日)
BORG125ED F4 500mm EOS5D MarkU(赤外カットフィルター除去) ISO1600 ダーク補正・フラット補正 周辺部を多少トリミング
60sec×6frame 180sec×27frame 180sec×12frame コンポジット 総露出時間1時間58分 
撮影地 伊豆(2017年1月2日) 富士山西麓(2017年11月21日)
天体写真撮影(富士山西麓)
11月21日(火)
 昨日の夕方から今朝にかけて、富士山西麓の高原地帯で天体写真の撮影を行ってきました。前回撮影に行ったのは、今年5月です。それ以来、新月期の天気が悪かったり、良かったとしても、仕事が入っていたりと、行くことができませんでした。半年ぶりになってしまいました。

 半年もあいだをあけると、行くこと自体が億劫になってしまいます。部屋から機材を出し車に積むために、部屋と車の間を何度も往復したり、何時間もかけて現地に行って機材を組み立て、寒い中で一晩中撮影をすることを面倒に思ってしまうからです。しかし、私共は、プラネタリウム解説者です。写真撮影をする一方で、本物の満天の星たちを定期的に見ることは、プラネタリウム解説者としては、当たり前のことです。

 最近は、仲間を誘って出かけることが多くなりました。今回もそうです。ただし、仲間といっても、彼らは私共よりも40歳以上も年下です。天気予報を見ると、昨夜は、伊豆方面が夜から天気が良くなる見通しでした。いつもの撮影ポイントに行くつもりでした。そのつもりで、夕方に横浜を出発しました。箱根新道を利用し、箱根の山を登りきったところで、携帯が鳴りました。車を駐車スペースに入れて、電話を取ると、伊豆方面は、風が強そうなので、富士山の西麓に変更しませんかという相談でした。確かに、箱根を登る頃から風が強くなっていました。

 伊豆方面には向かわず、そのまま山を下り、三島から沼津に抜けました。沼津インターから東名高速に入り、富士インターでおりて、富士山の西麓の高原を目指しました。到着すると晴れていましたが、望遠鏡を車から出す気にはなりませんでした。待ち合わせ場所が合っているかどうかがわからなかったからです。少し疲れていたので、そのまま眠りに入ってしまいました。

 やがて彼らの車が到着しました。場所を少し移動してから、機材を持ち出して撮影を開始しました。時刻は午後11時を過ぎていました。機材をセッティングして撮影を開始できた頃には、日付が変わっていました。そこから、明け方まで約4時間半、撮影を続けました。満天の星たちでした。伊豆に比べると、星空のバックグラウンドがやや明るめでしたが、長焦点での撮影であれば、問題なさそうでした。また、北の空は、伊豆よりも条件が良さそうでした。風もなく、久々に満天の星たちに包まれてきました。しし座流星群の名残りとみられる流星たちがたくさん飛んでいました。中には、マイナス4等級以上の大流星も。

 富士山の向こうから上る春の星座を見ながら、機材の撤収作業に入りました。この良い天気は、横浜に戻ってからも続いています。今は、午後3時頃ですが、コントラストのとても良い青空です。今回行った場所は、冬の間の天体写真撮影のポイントとして、利用価値が高いと思いました。富士山を入れた「星景写真」の撮影場所としても、役に立つのではないかと期待しています。アクセスも良く、つづら折の道路を走らなくてよいだけでも大変助かります。外気温は1度でしたが、風がなかったので、寒くは感じませんでした。撮影機材のシステムを、半年ぶりに(ただし、望遠鏡自体は、ほぼ毎日動かしています。)動かしましたが、問題なく動作してくれました。

 同行してくれた仲間たちは、礼儀正しく、皆、好青年です。大変頼もしく思った次第です。次の新月期に、また一緒に写真撮影に行くことを約束して帰路につきました。撮影した写真は、後日画像処理を行い、満足できる結果であれば、このホームページにアップしたいと思います。行って良かったと思いました。
移動式プラネタリウム(横浜市立みなと総合高等学校 ファイナル 横浜市中区 11月18日)
11月19日(日)
 横浜市立みなと総合高等学校で、11月18日(土)に移動式プラネタリウムの投影を行いました。2012年1月に初めて同校で投影をさせいていただいて以来、6年連続6回目です。そして今回が、同校における最後の投影となりました。

 投影は私共が行いますが、運営は同校の地球科学部の生徒が行います。「メガスターによるプラネタリウム上映会」と題したものです。同校近隣の小学生・中学生・保護者などが対象です。天文への興味を高めるとともに、地域交流、学校間の交流などを目的としたものです。

 設営や撤収作業も、同校の生徒に手伝っていただきます。それらの作業を通して、生徒の皆さんには、移動式プラネタリウムの設営・撤収のノウハウや、社会に出て、このようなイベント関係の仕事をするときに、何が大切で、何に注意を払わなくてはいけないかを学んでもらいます。

 最後の投影だったので、これまで、お手伝いいただいた、同校のOB・OG、そして日頃から交流のある学校の生徒さんたちなども、投影を見に来てくれました。お昼休みの時間には、近く、はまぎんこども宇宙科学館で行われる「青春☆プラネタリウム」のリハーサルを、私共のハードウエアを使用して、生徒たちに披露してもらいました。もちろん、そこで気がついたいくつかの点などの指摘を行っています。これで最後ですが、地球科学部の生徒たちには、来年早々に、今年8月にアメリカで見た皆既日食に関する話をする予定でいます。

 11月11日(土)の谷本小学校以来、1週間ぶりの投影でした。体のほうは、なじんでいたはずですが、かなり疲れました。事業を終了するにあたって、・・・これでよかったのだろうか・・・と自問自答する日々が続いています。しかし、確実に限界が近づいているいるように思います。最後の投影まで、あと3件です。
土鍋ご飯
11月17日(金)
 移動式プラネタリウムの仕事をまもなく終了します。終了後は、関市まなびセンターでの投影のみ継続する予定です。自治体の場合は、予算の関係もありますので、施設のほうが、今後もプラネタリウムの運営を継続すれば、という条件がつきます。

 仕事を縮小している関係で、最近では、部屋で過ごす時間が多くなりました。1日中部屋にいるのは、体のためによくありませんので、日課である散歩、卓球練習、それが終わってからの体幹トレーニングを欠かさないようにしています。また、午前中に太陽を見るのも日課です。最近の太陽面は穏やかであるため、撮影した画像をホームページにアップする頻度は、少なくなっていますが、見ていないわけではありません。

 近い将来、年金を中心とした生活に入ることになります。年金生活を視野に入れているため、日常の生活は質素です。服は、カジュアルなものしか着用しなくなりました。スーツを着るのは年に1度くらいです。食材も、安いお店で調達するようにしています。冷蔵庫の中に、なるべくストックをためないように、いかに効率よく使い切るかを考えながら食事を作ります。外食する機会もかなり減ってきました。

 今日は、お昼にカレーが食べたくなりました。食材を買う日だったので、行きつけのお店で調達してきました。久しぶりに土鍋を持ち出し、ご飯を炊きました。お昼に、できたての温かいものを食べることは、サラリーマン時代には考えられませんでした。作りたてのカレーは、味がとがっている感じがしますが、土鍋で炊いたご飯にかけて食べると、それはとてもおいしいものでした。しばらくは、このカレーをベースにした食事が続きそうです。

 以上のように書くと、私共が独身者のように思われるかもしれませんが、既婚者です。年を取ると、この先何があるかわかりません。全ての家事を、問題なくこなせるようになっていることも大切なことだと思っています。スーツを着るときの、ズボンやワイシャツのアイロンかけも自分で行うようにしています。
トンカツ
11月15日(水)
 仕事をしながら、テレビを見ていたら、トンカツの話題を取り上げていました。仕事の手を休め見ていましたが、昔のことを思い出しました。今から45年以上前のことです。

 当時、東京のJR神田駅の近くの薬問屋さんでアルバイトをしていました。池袋の弁護士さん宅に間借りしながら、神田まで通っていました。生活は苦しいものでした。まだやりたいことも見つからずに、悶々とした日々を送っていました。この先どうなってしまうのだろうと、将来に不安を抱えていた時期です。

 楽しみのひとつは、給料日の夜に、トンカツを食べに行くことです。JR神田駅のガード下に、トンカツ屋さんがありました。トンカツの専門店です。中に入るとカウンター席が5席程度あるだけの狭いお店でした。行くと、店主と2名のスタッフがにこやかに迎えてくれました。その方たちの温かい笑顔を見るだけでも、癒されたものでした。お金に余裕があるときには、ヒレカツ、ないときにはロースカツを注文します。カツと千切りのキャベツ、そしてシジミの味噌汁がセットになった定食です。

 トンカツとは、こんなにおいしいものなのかと思いました。当時の値段で350円程度だったように記憶しています。それでも、私共にとっては贅沢なものでした。後にも先にも、このお店の味以上のトンカツに出会ったことはありません。1年ほど働いたのち、水戸に帰ることになるのですが、その1年間の経験は、切なく苦しいものでしたが、今となっては懐かしい思い出です。街には、サイモンとガーファンクルの「ボクサー」や、かぐや姫の「神田川」などが流れていました。

 横浜に来てから、東京に出ることがたびたびありましたので、そのお店を探したことがありましたが、見当たりませんでした。今、私共のお気に入りのトンカツ屋さんは、大船のショッピングモールの中にあります。そこも安くておいしいお店です。年に1度くらい、そのお店に行きます。
移動式プラネタリウム(横浜市立谷本小学校 ファイナル 横浜市青葉区 11月11日) 
11月12日(日)
 横浜市立谷本小学校で、11月11日(土)に、移動式プラネタリウムの投影を行いました。同校のPTA主催によるイベントです。2009年7月に学校主催で投影をさせていただきました。その後、投影の運営はPTAに引き継がれました。以来、これまで毎年投影をさせていただくことになりました。そして、今回が同校での最後の投影となりました。9年連続で10回目の投影です。小学校での投影として、最も回数が多いものです。

 秋の星座を中心に、ペガスス座の星座神話を交えて解説しました。学校に到着した頃には、体育館の中に、すでにプラネタリウムのハードウエア以外のすべてのものが準備されていました。さすがにPTAの皆さまの、9年間の蓄積だと思いました。特に打ち合わせをすることもなく、ハードウエアの設営に入ることができました。PTAの皆さまの中には、初めての方もいらっしゃったようなので、本番に入る前に、デモ投影を行いました。ただし、こちらは、大人向けの短縮バージョンです。BGMを中心に星空をご覧いただき、そこに多少の解説を入れて、星空を楽しんでいただきました。

 今回もたくさんの申し込みがあったようでした。これまでは1日5回の投影でした。今回は、申し込まれたすべての皆さまにご覧いただくために、追加であと1回投影をさせていただきました。合計6回です。投影環境としては、申し分ありませんでした。

 すべての投影が終わって、機材を車に積み終わる頃には、あたりがだいぶ暗くなっていました。撤収作業の前に、PTAの皆さまとともに、記念撮影です。それが終わると、花束を頂戴しました。大変恐縮してしまいました。このような、温かいもてなしを受けると、・・・もう少しできるのかな・・・と思ったりもしますが、私共の年齢を考えると、移動式プラネタリウムについては、今が引き際でしょう。感謝の気持ちでいっぱいになりました。前回の投影からだいぶ間が空いてしまったので、体力的にも精神的にも疲れてしまいました。本当の意味でのファイナルまで、あと4件の投影が残っています。
Windows10の不具合
11月7日(火)
 新しいパソコンを使い始めてから、1週間ほどが経過しました。Windows10 professional 64bitのOSを搭載しています。仕事に使うのには問題ありませんが、すでにいくつかの不具合が生じています。これが、パソコンではなく他の製品であれば、返品していたことでしょう。次の3点です。

1 WORD2016を使用していると、入力時に、マウスカーソルが消える
 文字入力時には、I型のカーソルが表示されるはずですが、入力の途中で消えてしまいます。マウスの右クリックをすれば、ほんの少しのタイムラグを伴い表示されます(ただし、I型のカーソルではなく、矢印のカーソルに変わっている)が、不便です。ネット上でこの症状を調べてみましたが、解決策が見当たらない状況のようです。ワコムタブレットのドライバーと干渉しているのでは、という記事もありましたが、こちらを削除してしまうと、タブレットが使用できなくなります。タブレットは、クリエイターにとっては必需品です。WORDのほうは、このまま使用することにしました。

2 コンピューターの起動時に、Bluetoothのアダプターの設定が完了していないので、再起動が必要というメッセージがたびたび出る。
 再起動すれば、メッセージが出なくなり解決します。このメッセージが出ている状態で、ドライバーの動作状況をプロパティでチェックすると、正常に機能していますが、使用できる状態にはないようです。現時点では、Bluetoothのデバイスを使用していないので、実害はありません。

3 ソフトウエアを最新のものに、バージョンアップする時に、旧バージョンの実行型ファイルへのアクセス(おそらくウィザードのほうで新バージョンのインストール時に旧バージョンの削除などを行っているとき)を拒否され、バージョンアップができないことがある。
 このメッセージが出ると、管理者の権限でアクセスしてください。というメッセージが表示されるのですが、個人で使用する場合、私以外のだれが管理者ですか?・・・と言いたくなるようなメッセージです。このトラブルは、一度シャットダウンしても解決しませんが、再起動すると解決します。

 以上の3点が、使用を開始して1週間も経過しないうちに、出てきてた症状です。Windows95以降、バージョンアップを繰り返してきたOSです。過去の資産の蓄積はどのようになっているのでしょうか。いったい、どのような作り方をして、どのような検査体制になっているのですか?と問いただしたくなるような内容です。パソコンの中身は、複雑で矛盾だらけです。OSもバージョンアップを繰り返す一方で、アプリケーションもバージョンアップを繰り返します。トラブルが起きて、当然という暗黙の了解で、開発を続けているとしたら、それは大きな間違いだと思います。複雑なシステムであるからこそ、細部まで神経を払い、開発をすることが、作る側の責任ではないでしょうか。それらのつけをユーザーに押し付けているのが現状です。お粗末な話です。ノートパソコンのほうを、Windows10にバージョンアップしなくて正解だったと思っています。
手書きイラスト11作目(初夏の尾瀬ヶ原)
11月3日(金)


 日課である朝の散歩に出たときには、路面が濡れていました。今日の横浜は、明け方まで雨が降っていたようですが、散歩に出たときには、見事な青空が広がっていました。このような日には、約2か月半前の、アイダホ州で見た皆既日食の時の、青空を思い出すようになりました。標高が高かったため、今日よりさらに見事な青空でした。11月3日は晴れの特異日ですが、今年も晴れました。

 前回の手書きイラストを完成させたのは、5月8日(月)でした。今回の作品が完成するまでに、半年をかけてしまったことになります。ただし、夏の間は、移動式プラネタリウムの仕事が忙しかったため、イラストの作業は中断していました。実質的には、3か月程度を要したと思います。

 尾瀬には、すでに何度も訪れています。至仏山の山頂で雷に遭遇した話は、この「星雑記」の7月18日(火)のところで記述しています。至仏山を登ったのは、その1回だけでした。あとはすべて尾瀬ヶ原を歩きました。鳩待峠から入り、山ノ鼻を通過して見晴(下田代十字路)まで往復するコースです。このイラストは、20代に歩いた時の光景です。前を行くグループは、私共の仲間たちです。記憶が定かではありませんが、見晴からの帰り道の途中です。奥のほうには、水芭蕉の群生が広がっています。6月頃の尾瀬ヶ原は天候が不安定です。この日は晴れていましたが、時折雲が襲来しました。そのような初夏の尾瀬ヶ原の雰囲気が出せるように描いたものです。自己評価は80点です。

 イラストの完成後、すぐにホームページに掲載したかったのですが、パソコンが壊れ、新しいパソコンを発注して、使用環境を整えるまでに、少し時間が必要でした。次の作品の下書きをすでに始めています。
迷い
11月2日(木)
 今の時刻は、午前4時過ぎです。珍しくこの時間に目が覚めてしまったため、やっと環境が整った新しいパソコンに向かっています。先ほどまで床に入りながら、先日のことを思い出していました。

 10月26日(木)の午後に、神奈川県立図書館に行きました。このホームページのトップページで告知している通り、同館で平成30年1月26日(金)に、横浜市立大学エクステンション講座を実施するためです。かながわ大学生涯学習推進協議会との共同公開講座で、同館が会場となっています。大学の担当者の方と、図書館の入り口で待ち合わせたのち、図書館の担当者の方々と当日に向けての打ち合わせを行いました。

 待ち合わせの時に、隣接する青少年センターの前を通過しました。ガラス越しにレストランが見えていました。「・・・ああ、まだあったのか・・・」。今から約40年前の出来事です。本来は、このホームページの「星雑記」(エッセイ集)に記述すべき話ですが、以下に記します。

 当時私共は、水戸市でプラネタリウムの仕事をしていました。プラネタリウム解説者として3年ほどが経過していました。当時は、1県に1施設くらいしか、プラネタリウムは存在しませんでした。解説者の数は、数えるほどであり、業界の総会に3年も顔を出していると、全国の解説者のほぼ全員と顔見知りになります。当時のハードウエアは、今と比べるとシンプルでした。仕事もある程度のことが分かってきた頃でしたが、そもそも取り組んでいる方の数が少ない職業であったため、このまま続けてよいものかどうか、将来に不安を感じていました。悩んだ末に、ある大先輩の解説者に連絡を取りました。私共が解説者として手本にしている方でした。「お伺いしたいことがあるので、会っていただけませんか・・」。電話でアポを取りました。

 その日、水戸から渋谷に出ました。午前中に天文博物館五島プラネタリウムで投影を見学しました。渋谷駅で、電車の時刻表を見ていた時でした。後ろから声をかけられました。しかも英語で。聞けばその青年は、ニュージーランドから今朝日本に到着したばかりでした。渋谷のある場所に行きたいのだが、道がわからないので教えてほしいとのことでした。一時期、神田で暮らしていましたので、都内の土地勘はありましたが、その場所は知りませんでした。青年は、藁にもすがる思いで、私共に声をかけた様子でしたので、考えた挙句、タクシーで現地まで連れていくことにしました。先生には、お会いする日は伝えてありましたが、面会する時間の約束まではしていませんでした。

 急いで渋谷駅まで戻り、桜木町まで行きました。先生は、館のレストランに案内してくださいました。「もっと早く来てくれれば、一緒に食事でもするつもりだったのに・・・」。申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。近況をお話ししたのち、本題に入りました。「今日は、お尋ねしたいことがあります・・・。先生は長年プラネタリウムの仕事に携わってこられましたが、この仕事に就いたことを後悔したことはありませんか」。答えは意外なものでした。一瞬躊躇して考え込むだのだろうと想像していたからです。間髪を入れずに「ありません」。という答えでした。私の心の中で、わだかまりが解けていくようでした。「・・・これだけ長いこと、プラネタリウムの仕事をされてきた方が、質問に腕を組んで考えることなく即答するということは、この仕事を続けていていいんだな・・・」。私共のその時の答えを聞いた感想です。

 この時以来、プラネタリウムの仕事を続けることに迷いはありませんでした。以来、今日までこの仕事に就いたことを後悔したことはありません。もちろん、あそこの分かれ道まで戻って、別の道を歩んでいたら・・・と思うことは時々あります。とはいいながら、その一方で自らにはこの仕事しかなかっただろうと思うことも事実です。

 その後、横浜に出てきてから、その先生とは、折に触れてお会いするようになりましたが、最近はすっかりご無沙汰しています。レストランを見て、あの時の記憶が鮮明によみがえってきました。先生に、プラネタリウム解説のイロハを伝授していただいたわけではありませんが、私共は、師匠と思っています。私共が宮崎で仕事をしていた時にも、様子を見に来てくださったことがありました。

 いまだに現役のプラネタリウム解説者として、現場に立たれています。あっぱれとしか言いようがありません。それに比べたら、私共は、まだまだ「ひよっこ」です。足元にも及びません。


  過去の星雑記
  平成29年7月(2017年7月)から11月