冬の星たちが顔を出す頃


 秋の気配が色濃くなって、宵の東の空に冬の星たちが顔を出してくると、必ずあの頃を思い出します。

 今からちょうど28年前、ある大手自動車会社を3ヶ月で退職してしまった私は、東京の神田や実家の近くの茨城県水戸市などでアルバイト生活をしていました。将来の目標も定まらずに悶々とした日々を送っていました。
 アルバイト先は、生前の父が勤務していた印刷所でした。高校時代、天体望遠鏡を自作するため、その資金稼ぎでアルバイトをしていた会社で再び働かせてもらっていました。そこから徒歩で水戸駅まで行って電車を乗り継いで家に帰ります。家の前は、道路一本隔てて太平洋で、毎日、朝日や月などが海から昇って来るようすが良くわかりました。

 ある日のことです。印刷所からの帰りの道すがら、建設中のビルが目にとまりました。その眼鏡屋さんのビルの上を見上げると、真っ白いドームが目に入ってきました。きっとビルのオーナーが天文ファンで、自社ビルの屋上に天体望遠鏡を設置したのだろうなどと、勝手なことを想像しながら、ふと隣の仮設のお店の入り口を見ると、「天文台・プラネタリウム職員募集」という看板が目に飛び込んできました。私は、一瞬立ち止まりましたが、そのまま吸い寄せられるように、お店の中に入っていってしまいました。
  表の看板を見て、本来であれば、このようなペンキにまみれた作業着ではなく、背広を着て履歴書を携えて出直してくるところですが、私のようなものでも採用してもらえるかどうか担当者に会わせてほしいといったようなことを、そのとき対応してくれたお店の人に伝えました。

 応接室に通されると、会ってくださったのは、その会社の専務でした。高校生の頃から星が好きだったことや、今のアルバイトのことなどを話すと、思いがけない返事が返ってきました。
「では明日から社員としてうちで働きなさい」
  これが、私のその後の人生を大きく変えた瞬間でした。正直に言うと、そのとき私はプラネタリウムが何をするものかを知りませんでした。言葉を聴いたことはありましたが、あの独特なスタイルをした機械が何を目的とするものなのか、想像すらつきませんでした。ただ、天文台の機械が操作できれば、それでよかったのです。当時20センチの屈折望遠鏡は、公共施設でも数が少なかったのです。

 その後、メーカーでプラネタリウムを見せてもらったとき、初めて何をする機械なのかを理解しました。ああ、これなら自分にもできそうだと思いましたが、こんなに奥の深い職種であることがわかったのは、ずいぶん後になってからです。

 どこの施設でも、プラネタリウムがオープンする前日は大忙しです。そのプラネタリウムがオープンする前日の夜、まだドームの壁面の塗装が始まっていませんでした。ようやく作業が始まったのは、当日の午前1時頃です。それが9時間後に乾くかどうかも心配でしたが、ペンキの色がライトブルーであったのにギョッとして、急遽、色を黒に変更してもらいました。
 オープンが目前に迫っているため、いろいろな人が出入りします。ペンキが乾かないうちにドアを開け閉めするため、ペンキで皆が服を汚していました。私も自分の手形をしっかりつけてしまって、それが、その職場を退職するときにもまだ残っていました。

 投影のリハーサルが始まったのは、午前3時頃です。当時、BGMはレコードの時代で、まだ機械の操作を覚えていない私たちは、BGM担当、解説担当、機械操作担当の3名で、その日の投影をこなしました。
  100台以上のプロジェクターを設置し、すべてを自動制御する現在のプラネタリウムと比較すると、隔世の感があります。

 解説を覚えるために、帰宅すると毎日、自宅の海の前の磯に下りて、実際の初冬の星座たちを相手に、海に向かって声を出しながら練習しました。オリオン座の三つ星が水平線から昇ってくるのを見て、あれが天の赤道のラインの場所だな、などとイメージトレーニングをしていました。当時は6等星が苦もなく見える星空がそこにありました。星空をさえぎっていたのは、遠くの海に向かって照射する磯崎灯台の光だけでした。

写真はおうし座のM45(プレアデス星団)とヒアデス星団
星に興味を持った高校時代に、オリオン座の次に覚えた星座の中にある2つの星団です。右上の星の集まりがM45で、左下のVの字の形がヒアデス星団。

1998年1月26日撮影/撮影地茨城県美和村/ペンタックス67 200ミリF4開放
 45分露出

 プラネタリウムは今、非常に厳しい状況に置かれています。それと同時に、デジタル化の波が次第に押し寄せてこようとしています。これまでスライド主体であったプラネタリウムの映像は、近い将来デジタル化されて、新しい表現方法が確立されていくことでしょう。今、私はそれに備えて勉強中ですが、昔に比べると、さすがに情熱が薄らいできたような気がしてなりません。

 今年もまた、あの星たちが、宵の東の空に上ってくる季節がやってきます。プラネタリウムの新時代を切り開くために、もうひとがんばりしなくてはならないと、自分に言い聞かせている今日この頃です。

  あの頃を思い出しながら・・・。


月間天文雑誌「星ナビ2000年12月号(創刊号)」のトップページ(素顔の星空ナビゲーター プラネ番組のあたらしい表現を追及し続けて28年)に掲載したエッセイです