富士登山体験記


 事の始まりは、今年3月でした。兄が久しぶりに私の家に遊びに来ました。お互いの近況を話しているうちに、「今年、一緒に富士山に登らないか」と言い出したのです。このタイミングでなぜ富士山??と思いました。話を聞いてみると、このところ兄は体調がすぐれず、お医者さんにウォーキングを勧められていました。それを忠実に守って毎日10キロのウォーキングを行っているうちに、体力にも自信がつき、富士山に登ろうということを思い立ったのだというのです。

 私は若い頃、山を登っていた経験があり、山はもう卒業した(そんなにたくさん登っていたわけではありませんが)と思っていたので、何をいまさらと、取り合いませんでした。それでも兄のために、富士登山に関する情報をネット上から集めてみました。皆さんの体験記を読んでいるうちに、それほど大変なら、自分たちも挑戦してみようじゃないの!とだんだん本気になってきました。

 5月のある日、兄に電話を入れました。(私)「7月に富士山、一緒に登るよ」、(兄)「・・・・・・」、「実は最近あまり調子が良くなくてね。今年はやめておく・・・」 (私、心の中で)「おいおい・・・」。

 しかし、いったんその気になった私と妻の気持ちがおさまるはずもありませんでした。実は、私たちも健康のために、毎日10キロ近いウォーキングを行っていました。すでに生活の一部となっています。目標を7月の富士登山におくと、それまでの空白を取り戻すかのように、5月に上高地のトレッキング、箱根の金時山、そして6月に尾瀬ヶ原と、徐々に体を山に慣らしていきました。日頃の運動のおかげで、夜行日帰りでの山歩きが多いにもかかわらず、苦しさはほとんど感じませんでした。ネット上から得た富士登山に関する知識は、だいぶ増えていました。これなら富士山は大丈夫と、万全の態勢で臨んだつもりでしたが、その自信は、今回の登山で粉々に吹き飛ばされることになったのです・・・。

 最初の計画では、7月8日(日)の夜から登るつもりでしたが、週間天気予報では、天気が下り坂の気配でした。そこで、4日の仕事を早めに切り上げ、17時に横浜の自宅を出発しました。藤沢バイパスから二宮を経て、秦野中井インターから東名高速に入りました。この時間は、横浜横須賀道路が渋滞しているために、高速道路の料金も安くつく、このルートはお勧めです。高速道路に乗って、少し走ると、前方に富士山が鮮やかなシルエットで浮かび上がってきました。東名は何度も走っていますが、この付近からこんなに鮮やかな富士山を見たのは初めてです。足柄サービスエリアで軽い夕食を取り、御殿場インターでおりて、富士山をめざしました。空はすでに黄金色に染まっており、ピンク色の夕焼雲をバックに浮かぶ富士山の姿が印象的でした。視界の中に富士山が大きくなってくると、山の中腹には山小屋の明かりが点々と、頂上近くまでいくつか灯っているのが見えて、緊張感が増してきました。

 富士宮登山口に到着したのは、20時頃でした。渋滞は全くなく、3時間でここまで来たことになります。駐車場はがらがらでした。車の数は、20台程度だったと思います。横浜を出るとき、車の外気温時計は33度くらいでしたが、5合目のここでは18度に下がっていました。2人ともすぐに上着を着ました。それから23時まで仮眠をとりました。妻はぐっすりと寝てしまったようですが、私はなかなか眠りに入れず、結局体を横たえただけでした。

 22時30分、体を慣らすために少し早めに起きて、駐車場のすぐ上のトイレに行きました。ものの3分くらいの距離ですが、そこまで行くのに少し息が切れました。「これは相当慎重に登らないと大変なことになるな」と実感しました。23時、いよいよ登山開始です。

 妻のペースに合わせて極力ゆっくりと歩き始めました。登山のペースとはどのようなものなのか、若い時の経験から把握していましたので、妻のペースが速くなると「もっとゆっくり!」と後ろから何度も声をかけました。空は快晴、無風。富士登山には最高のコンディションでした。

 満月2日前の月が煌煌と山の斜面を照らしていました。すぐ近くに最接近を終えたばかりの火星と、さそり座のアンタレスが、その赤さを競い合っていました。眼下には町の夜景がモヤの下に広がっていました。幻想的な光景を見ながら、登りを楽しんでいました。6合目を過ぎた頃、ふと頂上のほうを見上げると、その少し上に北極星が見えていました。「ああ、私たちはいま、北極星を目指して登山をしているんだな」という思いがこみ上げてきました。この富士宮口からのルートは、頂上に向かって真南から真北に伸びているようです。また、この地点から頂上までの斜面の傾斜角度は、35度弱だな(北極星の高さはその土地の緯度に等しい)。などと冷静に周囲の状況を観察していたのも、7合目までした。

 そろそろ7合目に達する頃、上のほうから2人の青年が下りてきました。Tシャツ、短パン姿で荷物もない2人に「どうしました?」と声をかけると「君たち、それ以上、上に行ったら死ぬぞ!」と追い返されたということです。このような人たちって、本当にいるのですね。下山時にもそのような人たちを何人も見ました。

 ゆっくり登ることを心がけたために、息が切れることはありませんでした。山小屋ごとに休憩を取りましたが、このルートでこの時期、夜に開いている小屋はありませんでした。妻はトイレに困っていました。8合目を過ぎたあたりから、妻の口数が少なくなってきました。少し調子が落ちてきたようです。私はまだ、体力も充分で、何の問題もありませんでした。悪夢が始まったのはこのあとです。

 9合目に達したあたりで、妻のペースは完全に落ちてしまいました。私はリュックの中から携帯酸素を取り出し、妻に吸わせました。少しは楽になったような感じでしたが、顔色は青ざめていました。心配していた高山病の症状が出たような感じでした。そこから先は時間が止まってしまったかのようでした。数十メートル歩いては数分休憩の繰り返しでした。懐中電灯の電池がなくなってきたせいか、前方を照らす明かりが暗くなっていました。予備の電池に交換しましたが、もう、その必要性もあまり感じませんでした。東の空が白み始めていたためです。金星がその中でひときわ明るい光を放っていました。気温はぐんぐん下がっていました。妻はガタガタ震えていたため、防寒着をはおりました。私は、大丈夫でしたが、念のためウインドブレーカーを着用しました。

 9合5勺、妻の顔色がますます悪くなりました。「顔色が悪いよ」と呼びかける私自身、何となく頭痛と吐き気を感じるようになりました。「ひょっとして2人とも高山病??」という思いが頭をよぎりましたが、いろいろ考えること自体がすでにわずらわしくなっていました。しかし、私は体力だけは失われていませんでした。すでに東の空は薄明も終わり、太陽が昇ったようでした。程なくして山の斜面から太陽が顔を出してきました。

 「先に行って!」という妻の言葉を合図に、私は堰を切ったようにペースを速めました。あっという間に妻との距離が広がっていきましたが、ふっと後ろを振り向き、妻が懸命に登ってくる姿を見て思いとどまりました。「やはり、ここまで来たら頂上は同時に踏むべき」という感情がこみ上げてきました。妻を待ち、励ましながら頂上を目指しました。ここから頂上までは、時間が永遠であるかのように感じました。妻は体力の限界と闘いながら、私は周期的に襲ってくる頭痛と吐き気と闘いながら、やっとの思いで頂上に達したときには、6時30分を過ぎていました。

 富士宮口ルートは登山口の看板に、頂上までの所要時間が4時間から5時間と書かれていました。私たちは7時間半もかかってしまいました。頂上に達すると妻は満足したようで、先ほどまでの調子の悪さがうそのように元気になりました。私のほうは、相変わらず頭痛と吐き気と闘っていました。せっかくここまで来たのだから、剣が峰まで行こうということになりました。私は、不思議なことに達成感はまったく感じませんでした。しかし、はるか眼下に箱根の山をはじめ、周囲の山々がモヤの下に浮かぶ姿は、心に焼きつきました。

 下りは、上りよりは少しはましでしたが、私の高山病は7合目付近まで改善されませんでした。妻は相変わらず体力の限界と闘っていました。2人とも無言で、ただもくもくと山を下っていきました。下りで何人もの上りの登山者と会いました。多分100人近かったと思います。その半分近くが海外からの登山者でした。「こんにちは」という挨拶を交わしながらも、心の中では「オェー、早くいってくれー!」と相変わらず吐き気と闘っていました。こうして5合目に戻ったときには、12時半をまわっていました。下りは5時間を費やしたことになりました。

 他の山を登っているとき、下山時には、次はどこの山に行こうかと考えるものですが、今回に関しては「もう山はこれで充分かな」と思っていました。私と妻にとって、富士山は高山病と体力の限界との闘いでした。

 駐車場に戻ると、一気に暑さが襲ってきました。車の外気温時計は22度を指していました。

 今日、7月6日(金)は、普段通り仕事に出ました。昨日との環境のギャップが大きすぎて、頭の切り替えがうまくいきませんでしたが、体のほうは、どこも痛みがありません。私の年齢から考えて、明日あたりから痛みが出てくるのではと思っています。しかし、肌を露出していた部分が日焼けでヒリヒリしています。

 仕事をしながら思うことは、昨日の、あの意識がもうろうとした中での富士登山のことばかりです。あれだけの苦しみを味わいながら、今日になったら次第に、次はどのルートから登ろうかと考えている、もうひとりの自分がいることに気が付きました。

●今回の教訓
1 富士山、あなどりがたし、いや恐るべし!
2 夫婦のきずなを深めるにはぜひ富士登山を。ただし、一歩間違うと亀裂の入る恐れあり。
 (妻が、下山中に夫婦喧嘩をしている中年のカップルを目撃しました。「私、もう登れないわ!」「何を言っているんだ!がんばれ!」)
3 日頃の体力作りや、半端な登山経験は、高山病には何の役にも立たない。

●装備
リュック(Deuter製38リットル、富士山には大きすぎますが、大きさの調整可能)
雨具、手袋(滑り止め防止付き)、下着および靴下(ダマール製、暖かさのレベル5でエベレスト登山隊御用達、ただし、下山時に暑すぎました。)
ロングスパッツ、軽登山靴(コールマン製)、毛糸の帽子、サングラス(風に飛ばされないようにひも付き)、防寒着、ストック、長袖、長ズボン、携帯酸素(2人で3本)、携帯用コンロ、携帯用やかん、カップコーヒー、菓子パン2個、おにぎり2個、飲料(500ミリリットル3本)、お菓子少々、ゼリー飲料2個、カメラ1台、トイレットペーパー、ゴミ袋、地図、予備電池、ペットボトルホルダー、水5リットル(車に保管、下山してから体をふくために使用)、タオル、マスク、カイロ、懐中電灯2本(1本は腰に、もう1本はハンドホルダー付きで、指に固定)


2001年7月8日記述 富士登山体験記を集約したホームページに寄稿したものです。